御代替わりになり、皇嗣という立場になって職員も約20人から50人へと増員されたのだが、辞めていく者が多く、活動に支障が出ているという。とりわけ大きかったのは、警察庁長官官房付から出向してきた石川光泰宮務官が、今年の1月24日付で依願免職になったことだったそうだ。
警察庁も我慢ならなくなった
東大卒のエリートキャリアで、エース級の人材を送り込んだと警察庁も自信を持っていたのにと、騒ぎになったようだ。
何が理由だったのだろう。現代によれば、加地隆治皇嗣職大夫の定例記者会見に、石川宮務官も毎回臨席していたが、記者から、紀子さんの服装に関する質問があり、石川が答えた。だが、「皇室のドレスコードは非常に細かいもので、とりわけ女性皇族が何を着るかは大きなメッセージを持つ場合が多い。皇嗣妃としては、石川さんの説明に納得がいかなかったのでしょう」(皇室関係者)
現代はこう解説する。「自分は複雑なプロトコールやマナーを熟知しているし、着るものには細心の注意を払っている。それなのに、警察からやってきた若造が無粋にもその意味するところを記者に語るなんて。警察官は黙って警護だけしていればいいのです」
これが事実かどうかはわからないが、昨年、同行するはずだったブータン行きもはずされ、結果、1月の免職になったという。
優秀な人材を送り込んだ警察庁としては、我慢ならないと、石川の後任にはノンキャリを補充することで、「宮内庁に『抗議』しています」(宮内庁担当記者)
秋篠宮家は以前から職員らに厳しく「御難場」といわれてきた。さらに昨年10月22日、「即位礼当日賢所大前の儀」が執り行われた雨の日にも“事件”が起きたという。
夫妻をイライラさせる数々の問題
秋篠宮が傘をさして速足で歩き、屋根のある場所に着いた秋篠宮は、「傘をたたむと、傍らに立つ職員に無造作に傘を投げ渡した」(現代)というのである。
美談として伝えられている、済生会中央病院へのポリ袋を使った防護服寄贈も、このようだったという。
紀子さんは職員たちにこう告げた。「私たちと有志の職員で防護服を作って、病院に届けましょう」。「こう言われて、『私は参加しません』と言える職員はいません。紀子さまは同じ仕事を複数の職員に振って、それを競わせるのです。(中略)このような厳しさは、ご活動の内容をよりよいものにしたいという熱心さの裏返しでもありますが、『いくらなんでも度が過ぎる』と音を上げる人たちも多い」(宮内庁関係者)