【戸髙】そのころに中島飛行機が仕事を始め、航空が全国的に注目を集めたのです。本題から少し外れますが、中島知久平(*1)が戦艦1隻で、飛行機が3000機つくれる、というアピールをしました。盛んに飛行機のほうが安いと営業しましたが、あれは大変な間違いです。飛行機自体は安いけれども、飛行機を飛ばすには飛行場をつくらなければいけません。パイロットの養成に莫大なお金がかかります。戦艦どころではありません。その意味では、よりお金のかかるほうにだんだんシフトしていった。これが日本の財政、国防を危うくした面が無きにしもあらず、です。世界の流れがあるから仕方がありませんが。

「ハードウェア志向」に過ぎた日本の陸海軍

【大木】これも余談になりますが、戦艦「大和」「武蔵」をつくったのは間違いだったとよく言われます。しかし、どうでしょうか。「大和」の起工が昭和一二(一九三七)年です。あのころはまだ、飛行機と戦艦のいずれが主兵であるかはっきりしていません。「他国もつくっている」ことも建造理由になりました。

つくることは問題なかったものの、スペイン内戦や日中戦争を経て、やがて飛行機のほうが重要であることがあきらかになってきました。そうしてみると、つくったこと自体はあながち間違いではないにしても、航空機の時代に適応させて使いこなせなかったことに間違いがあったと思うのです。

【戸髙】まことにその通りです。日本は「武蔵」でやめましたが、アメリカは戦争中に八隻も戦艦をつくっています。イギリスに至っては、第二次大戦終結後にも戦艦をつくっています。戦艦が時代遅れだったということではない。その点、日本は真っ先に航空のほうにシフトした国です。

ただ、大木さんが言ったように、世界有数の能力を持った船を使いこなす能力が日本にはなかった。物には、物そのものの能力と、それを使う能力の両方が必要です。私はよく、最高性能の自動車をペーパードライバーが運転しても、その車の能力は発揮できない、と言っています。高度な機械ほど、高度なオペレーション能力が必要です。その点で、日本の海軍と陸軍は、ハードウェア志向に過ぎたところがあります。