ひとつの肩書や職業に固執しない生き様

いまテレビ朝日は彼女に人気におんぶに抱っこで、はっきり言って「便利に使い倒しすぎ」と思えるほど弘中アナをこき使っている。ドラマのレギュラーに起用したりすれば、間違いなく「勘違いしている」などのバッシングも起きるはずだ。

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画像=テレビ朝日ホームページより

それでも仕事が嫌になってしまわないのはなぜか? なぜ、アナウンサーという職業にさほどのこだわりがないと思われる人物に、アナウンサーとして素晴らしい働きができるのか?

私は、その理由は「自分が有名になりたいから」ということではないかと思う。彼女たち「ニュータイプ女性アナ」が目指すところは、ちょっと古い言葉なので恐縮なのだが、「インフルエンサー」になることなのだろう。

自分が有名になれば、自分のやりたいことが自由にできる可能性が高まる。「セルフブランディング」として考えれば、「女子アナ」として仕事を頑張って人気者になり、有名になることは非常に効果的なのだ。

そもそも、彼女たちの世代の女性には、ひとつの「肩書き」なり「職業」なりにこだわる人は少なくなってきているのではないか。

自然体の自分を受け入れてくれる人を大切にすればいい

芸人のたかまつななさんの話をこの間きいていてやはり感じたのだが、彼女は「自分がやりたいこと」を実現するために芸人としてデビューし、企業家として会社も興し、NHKに就職して制作者にもなった。そしてNHKを辞めて新しい道を歩もうとしている。

彼女にとって大切なのは、自分が有名になり、自分がやりたいことをやって社会をよくすることで、肩書きや仕事にそれほどのこだわりはないのだ。

それはたぶん、弘中アナをはじめとする「ニュータイプ女性アナ」にとっても同じことだ。そもそもテレビは斜陽なレガシーメディアだし、もはや肩書きとして大したことのない「女子アナ」という職業に拘泥して人気争いをすることにさほどの重要性や魅力は感じていないのではないか。

ただ、「女子アナ」としてきっちりと仕事をすることで、確実に知名度は上がり、インフルエンサーとしてのポテンシャルは上がっていくわけだから、「女子アナ」を一生懸命やっているわけだ。

だから、かつての「女子アナ」のように、オッサンや男どもに媚びる気はない。仕事は頑張るが、セクハラパワハラ臭い飲み会にプライベートで付き合うようなことはしない。といって、女子アナと呼ばれることを拒否する「フェミニスト的な立ち位置」を取る気もない。

「自然体の自分を受け入れてくれる人は、ファンとして大切にすればいい」だけだ。「かわいい」が理由でファンになってくれる男性を拒む必要もないし、「毒舌が面白い」が理由でファンになってくれる女性を拒む必要もないのだ。