ここで注意しておかなければならないのは、これと同じ効果を、失業手当のような税金を使った所得移転も引き起こすことができる、という点だ。つまり、2兆円を、仕事を持つ国民から徴収し失業者に移転すれば、それだけで景気はよくなる。これは、ケインズのいう「穴を掘って埋めるような公共事業でも、失業手当よりまし」ということばが、ケインズの組み立てた経済の仕組みの中でさえ誤りであることを意味している。

ケインズの『一般理論』は、このような富んだ者から貧しい者への所得移転が、景気を下支えする効果があることに最後の最後で触れてはいるのだが、理論的な枠組みに中にきちんと取り込んではいなかった。

今、大学で教えられ、公務員試験でも出題されているマクロ経済学は、ケインズの理論をジョン・ヒックスという人が整理整頓したバージョンなのだが、この普及版では、この効果は無視されてしまったのだ。これはあくまで推測の域を出ないのだが、ケインズが乗数効果を主張した、その真意の中には、このような格差社会における所得移転が有効需要を作り出し、社会を安定化させることがあったのではないか、とぼくは思う。つまり、ケインズは、「格差是正にこそ、資本主義の安定の道がある」という画期的なことを考えていたに違いない、ということである。

●この連載は、小島寛之著『容疑者ケインズ』の第1章の一部、ケインズの「一般理論」の批判的解説を転載したものです。

●転載は最終回です。次回は、書き下ろしを掲載予定。