杉原千畝(すぎはら・ちうね)
1900~86年。24年外務省入り。ヘルシンキ日本公使館を経て39年にリトアニアの日本領事館領事代理となる。40年夏、本国の命令に背いて、ナチスの迫害から逃れてきたユダヤ難民にビザを発給して彼らを救い、のちに「日本のシンドラー」と呼ばれた。
詩人、作家 <strong>辻井 喬</strong>●1927年、東京生まれ。本名・堤清二。東京大学経済学部卒業。元セゾングループ代表。91年に経営の第一線を退いた後、作家活動に専念。小説『いつもと同じ春』(平林たい子賞)、『虹の岬』(谷崎潤一郎賞)、『父の肖像』(野間文芸賞)、詩集『群青、わが黙示』(高見順賞)、『自伝詩のためのエスキース』(現代詩人賞)など多数の著書がある。
詩人、作家 辻井 喬
1927年、東京生まれ。本名・堤清二。東京大学経済学部卒業。元セゾングループ代表。91年に経営の第一線を退いた後、作家活動に専念。小説『いつもと同じ春』(平林たい子賞)、『虹の岬』(谷崎潤一郎賞)、『父の肖像』(野間文芸賞)、詩集『群青、わが黙示』(高見順賞)、『自伝詩のためのエスキース』(現代詩人賞)など多数の著書がある。

緞帳が上がると、舞台は薄暗く、鉄条網で囲われていた。遠く彼方から、ナチスに追われた夥しい老若男女の避難民たちが疲れきった足取りで正面に向かってくる。一様に厚手のコートをまとい、帽子姿だ。目的地にたどり着いて安心したのか、数人の老人が倒れ、仲間の助けを借りている。誰も声を発しない――。

5月8日午後7時半に横浜の神奈川県民ホールで行われたオペラ『愛の白夜』のオープニング光景である。このオペラは「日本のシンドラー」と呼ばれる外交官・杉原千畝の物語で、史実をもとに製作されたフィクションだ。

台本を担当したのが辻井喬。作曲は一柳慧である。辻井にとって、オペラは初挑戦であった。その台本を引き受けた経緯を、少しはにかみながらこう説明する。

「作曲家の一柳さんから『杉原千畝を主人公にしたオペラをやりたい。どうだろうか』という話があり、私も千畝さんのことは知っていたし、一柳さんはかつて日野啓三の『光』という長編小説をオペラにされ、いい作品でした。さらに彼は神奈川芸術文化財団の芸術総監督で、團伊玖磨さんのあとを継がれている。團さんは小学校時代から存じ上げており縁があるなと思いました」

好奇心が旺盛な辻井である。手がけたことのない分野に機会を与えられ、作家としても創作意欲は燃え上がる。だが引き受けはしたが、相手はオペラである。

「大変なことを引き受けてしまった」と後悔と不安の念が湧いてきた。そこで一柳氏に打診を入れてみる。