正式名称は「ニュー・スター・クリエーション」

どうしてNSCをつくる発想が持たれたのかといえば、中邨さんの言葉どおりだ。

前年から漫才ブームになっていて、人気芸人たちはテレビに引っ張りだこになっていた。そのため、大阪や京都の花月劇場に立てる芸人の数が足りなくなっていたのだ。ザ・ぼんちの花月の出番に穴があいて、やすきよが代わりに舞台に立ったこともある。格上の先輩芸人が代役を務めるというのは、通常はあり得ない。にもかかわらず、やすきよという大御所が拒まず代役を引き受けてくれたほどの非常事態になっていた。

ブームというものは長続きしないので、漫才ブームも翌年には下火になっていく。しかし、この時点ではまだ需要も多かったので、芸人を増やすことを急ぎたかった。そういうタイミングでの設立だったのだ。

NSCとは、ニュー・スター・クリエーション(New Star Creation)というベタな和製英語の略称である。

総責任者は冨井で、もう一人の私の上司と私の三人で設立にあたることになった。ちなみに、一期生のうち「トミーズ」は、冨井さんの名前からコンビ名をつけられている。

徒弟制度から養成所の時代へ

NSCができるまでは、芸人になるためには誰かの「弟子」になるのが一般的だった。たとえば紳助は、B&Bの島田洋七に憧れ、その師匠である「島田洋之介・今喜多代」に弟子入りしてデビューへの道を拓いた。

弟子入りをしないで芸人を目指す場合は、劇場で「進行係」などの仕事に就いてチャンスを窺うことになる。松本竜介は、花月で幕引きや道具の出し入れ、芸人への出番の伝達などの係をしていたことから紳助とコンビを組むことになっている。

養成所は、芸人を目指すための第三の道になった。

弟子入りしたり進行係を務めるというのは、古いしきたりのようなものだ。入学金などを払って学校に入ることで芸人になれるのであれば、芸人志願者としては手っ取り早い。養成所をつくるやり方は、芸人を増やしたい事務所の側から見ても、芸人を目指したい志願者の側から見ても、画期的なシステムといえる。

NSCから誕生していく芸人たちは、師匠から引き継ぐ屋号を持たないという意味で「ノーブランド芸人」と呼ぶことにした。当時、流行り出した「無印良品」からヒントを得て私がつけたものだ。