吉本興業が運営する芸人の養成所・NSC。漫才ブームに乗って設立され、1期生としてダウンタウンやトミーズなどのコンビを輩出した。同社でプロデューサーを務めた竹中功氏が、NSCの設立秘話と知られざるダウンタウンの下積み時代を紹介する――。

※本稿は、竹中功『吉本興業史』(角川新書)の一部を再編集したものです。

日本万国博覧会誘致委員会発足式に臨む(右から)二階俊博・自民党幹事長、ダウンタウンの浜田雅功さん、松本人志さん、誘致委員会会長の榊原定征経団連会長、松井一郎大阪府知事
写真=毎日新聞社/アフロ
日本万国博覧会誘致委員会発足式に臨む(右から)二階俊博・自民党幹事長、ダウンタウンの浜田雅功さん、松本人志さん、誘致委員会会長の榊原定征経団連会長、松井一郎大阪府知事=2017年3月27日、東京都千代田区

「学校つくれや!」の一言でNSC設立

「竹中、商品(芸人)が足りへんから学校つくれや!」

当時、担当役員だった中邨にそう言われたのは、入社した年の10月のことだった。宣伝広報室に配属されてから、3カ月目。『マンスリーよしもと』の編集長になったのと同じように突然、そう告げられたのだ。

「そんなこと言われても無理です。ボクはまだ芸人さんと話したこともほとんどないくらいですし、お笑い芸人なんかつくれるはずがないですもん」
「大丈夫や。この会社で芸人をつくった社員なんか誰もおれへんのやから、誰がやってもいっしょや。せやから、お前、やっとけ」

言ってることは、上司の冨井と変わらない。どうもこの2人の上司のコンセプトは、いっしょのようだった。誰もやったことがないから誰がやってもいっしょだという理屈はどうかと思う。そんな言葉に納得できるはずがない。とはいっても、私はサラリーマンだ。上役の命令は絶対だと思っていたので、拒むことはできなかった。