NSC1期生がこれだけ成功できた理由
NSCから多くのノーブランド芸人が生まれていったのは、ご存知のとおりだ。
1期生にはダウンタウン、トミーズのほかに、「ハイヒール」や吉本新喜劇で座長を務めることにもなる内場勝則らがいた。
トミーズ雅は、プロボクサーとして日本スーパーウェルター級一位にもなっていた男なので、入学式のときにもマスコミから注目を集めていた。
学校をつくって“何を教えればいいのか”といったことも、最初はわからなかった。そのため先発の養成所を参考にして、コースや授業内容を考えた。
NSCの設立以前にも大阪には、ミヤコ蝶々が校長となった「蝶々新芸スクール」、松竹新喜劇の曾我廼家明蝶が設立した「明蝶芸術学院」があったほか、松竹芸能もタレント養成所(「松竹芸能タレントスクール」の前身)を設立していた。お笑いの養成所をつくるのは、吉本が日本ではじめてではなかったのだ。先に言うと、NSC1期生からこれだけの成功者を出せた理由はひとつ、「追いかける者は強い」ということだ。先発の3つの養成所を追いかけながら、参考書によくある、マーケティング戦略立案における環境分析ステップとしての「SWOT分析」をなぞってみただけである。
デビューまもないダウンタウンのネタ
NSCにとって大きかったのは、1期生からダウンタウンやトミーズ、ハイヒールが出たことだった。彼らの成功を見て、NSCに入ろうと考える志望者は増えていったのだ。
もしNSCの設立が1年遅れて、ダウンタウンの2人が受験してきていなかったなら、どうだったろうか? 現在のようにNSCは機能していなかったのではないか、と思う。
ダウンタウンは、デビューまもない頃には次のような話をネタにしていた。
「ボクらはね、漫才ブームを見て、この世界に憧れてNSCに入ったんですけど、漫才ブーム行きのバスに乗れると思うてたら、乗り損ねてたんです」
NSCを設立した頃、漫才ブームは下火になりかけていた。あと1年、設立が遅かったなら、NSCに入学することが「ブーム行きのバス」に乗ることだとは、考えなかったはずだ。だとすれば、乗車もしていなかった可能性も大きい。しかし、このネタには2人らしいオチが付く。
「乗り損ねたバスなんですが、よぉ見たら谷底に落ちてましたわ」