2019年12月にはコロナを警戒、天才IT大臣も活躍

まずは「コロナの優等生」と呼ばれる台湾の主な新型コロナ対策とその背景を振り返ってみたい。中国・武漢で謎の新型肺炎の症例が確認されたのは2019年11月ごろだと言われている。12月には台湾政府は謎の新型肺炎に対し警戒を強めていた。そして12月31日、武漢市が原因不明の肺炎感染者を公表したその日のうちに、台湾は武漢からの直行便による入境者に対し検疫を強化。さらに、同じく年末に陳時中・衛生福利部長(日本の厚生労働大臣に相当)がWHO(世界保健機構)に対し「武漢で新型肺炎が発生し、7名が隔離治療を受けている」とメールを送り、この時点ですでに新型肺炎が「人から人へ感染する可能性」を示唆したうえで警戒を呼びかけていたのだ。

年明けの2020年1月4日には台湾の感染拡大防止策のブレーンとなる「専門家グループ」が結成される。このグループでは台湾の感染症分野におけるほとんどすべての専門家が加入したそうだ。そして1月20日に新型コロナウイルスの対策本部にあたる中央感染症指揮センターが設立。台湾における初の新型コロナウイルス感染者が確認される1月21日までに、ここまでの準備と対策が行われていた。

その後、早期の外国人入境禁止措置、海外渡航者への徹底した隔離措置、また日本でも話題となった天才IT大臣こと唐鳳(オードリー・タン)デジタル担当政務委員(大臣)らによる「マスク管理マップ」など打ち立て、市民も感染拡大防止策に応じていった。

迅速対応の背景に、SARS流行時の苦い経験

これらの迅速な対応が行われた背景の1つに、2003年に香港や台湾で流行したSARS(重症急性呼吸器症候群)の経験が挙げられる。台湾におけるSARSの感染爆発の契機は、病院での院内感染である。院内感染がわかると病院は封鎖、医療従事者と患者、そしてその家族ら1000人以上が院内に閉じ込められ、パニックとなった。この出来事は当時、台湾に住んでいた人にとって凄惨せいさんな記憶として残っているという。この経験から市民には感染症への警戒心が根付いていた。

また、SARSの流行において台湾は収束が最も遅れた地域だった。当時、台湾政府はWHOから適切な時期に重要な情報を得ることができず、封じ込めに苦戦。また中央と自治体の連携がうまくいかなかったのもSARS収束が遅れた原因の1つだと言われている。その苦い経験から、台湾は新型コロナウイルスの封じ込めにおいて早くから独自の徹底した感染拡大防止策をとり、「防疫視同作戦(感染拡大防止の重要性を軍事作戦と同等とみなす)」という強い方針を打ち立てていたのである。