潔癖すぎる新聞労連の声明

朝日関係者からもう1人。5月26日、日本新聞労働組合連合(新聞労連)は中央執行委員長・南彰氏の署名入りで「『賭け麻雀』を繰り返さないために」とする声明を発表した。騒動の当事者である朝日新聞の政治部記者だった南氏だから余計に力が入ったのかもしれない。正直「潔癖」な印象を受けた。

「市民はメディアと権力の癒着を感じ取り、黒川氏の問題を愚直に追及してきた新聞記者たちの信頼をも揺るがしています」

記者たち、あるいはメディアへの信頼ということであれば、例えば京都アニメーション放火事件の被害者を、遺族の意向に反して実名報道したことの方がずっと「信頼を揺るがした」と思うが、さらに南氏はこう続ける。

「新聞記者は清濁合わせ呑む取材を重ねてきました。特に、捜査当局を担当する記者は……『取材先に食い込む』努力を続けています。しかし、こうした取材慣行は、長時間労働を前提にしてきた無理な働き方で……育児などとの両立も難しく、結果的に女性が育児を担うことが多い日本社会において、女性の参入障壁にもつながっています」

これもいまいち納得しがたい。取材すべき相手に「濁」な付き合いを好まない人が増えれば、食い込む努力は別の方向に転換せざるを得ないだろう。だが、麻雀や酒の席が得意な女性記者も実在するのであり、この声明が女性記者の活躍を後押しするどころか、彼女たちの貴重な取材機会を奪うことにもなりかねない。

最後は「『賭け麻雀』は市民や時代の要請に応えきれていない歪みの象徴です」としているが、全体の意図を汲めば「賭け」はともかく「麻雀卓」を囲む構図そのものが「古い」とする意図を読み取れる。ではゴルフはどうなのか。釣りならいいのかという話にもなるだろう。世間の声に耳を傾ければ、権力者との会食すら「癒着」になりかねない。

「濁」な付き合い自体が悪いわけではない

ネット上でも、「酒や麻雀で親睦を深めるなんてけしからん」「権力者と慣れ合って何が取材だ」という反応がある。もちろん、誰とも何のしがらみを持たず孤高、なのに各方面から次々と重要な情報が持ち込まれるような記者がいれば理想的だろうが、あくまでも理想に過ぎない。

「『赤旗』はそんな馴れ合いをせずともタブーなし、スクープ連発だ」との声もあるが、『赤旗』は日本共産党の機関紙である。野党であっても議員は権力者であるうえ、『赤旗』は安倍政権以上の長期にわたる「志位委員長体制」を批判することはない。

賭け麻雀という「濁」な付き合いで情報を取るのは歪であるとするのは記者たちの首を絞めることにもなる。朝日新聞をはじめとする反権力を標榜するメディアが、権力に立ち向かう姿勢をピュアに打ち出す「潔癖売り」をすればするほど、記者のありかたも、あるいは論調も幅が狭くなっていく。「潔癖売り」をするから少々の汚れも必要以上に指弾されることになってしまう。会食批判などもこの流れだろう。もちろん、新聞記者が「ブンヤ」と呼ばれていた時代とは倫理観が違っているのは確かだ。しかし進んで「優等生であれ」とするアピールにはどうしても違和感を覚えるのだ。