四方八方から批判の矢を浴びながら、「辞めない総理」は不屈の闘志でぎりぎりまで政権維持に賭ける姿勢である。野党側には「退陣承諾」を疑う人も多い。

みんなの党の渡辺喜美代表は「居座り」を前提に作戦を組み立てている。

「辞めない以上、引きずり降ろすのは至難の業です。であれば、通年国会にして徹底審議で首相を追い詰める。最後は国民に決めてもらうために解散・総選挙をやる。もう一つ、内閣不信任案を再度、提出する。一事不再議の慣行があるが、事情が変われば、再提出は可能です」

だが、民主党内では「菅退陣」は既定路線となっている。政権を支える三本柱は枝野幸男官房長官、仙谷由人代表代行(官房副長官)、岡田克也幹事長だが、「退陣承諾表明」以後、首相の早期退陣を示唆したり促したりして、菅離れが顕著になった。菅を中心とする党内グループの「国のかたち研究会」のメンバーの平岡秀夫(総務副大臣)は、1年前の菅政権誕生の場面を振り返って語る。

「最初、菅政権で枝野幹事長、仙谷官房長官となりそうだという話が出たとき、私と土肥隆一さん、荒井聰さん、笹木竜三さん(いずれも衆議院議員)の四人で菅さんに会い、『2004年にあなたが年金未納問題で代表を辞任したとき、真っ先に辞めろと言った人を起用して、政権が維持できるのですか』と言った。菅さんは『少々煙たい人にいてもらったほうがいい』と言った。だが、最後まで支えてくれる人を配置しておく必要があったと思う。あのとき、おかしいじゃないかと文句を言ったあのことが、また再現されているなという感じです」

身から出た錆とはいえ、菅首相は孤立無援を余儀なくされた。ところが、そこからのしぶとさは尋常ではない。

元民主党幹事長の川端達夫(前文部科学相)が独特の分析を口にする。

「以前の菅さんにはトップに必要な覚悟が見えなかった。隙間を狙い、言いつくろい、目くらましをしながらも、なんとかすり抜けていこうという感じだった。ところが、6月2日、吹っ切ったのではないか。いまある種の覚悟が見えているように映る。絶対に辞めたくないと思って日々過ごすのと、辞めるときは辞めたらいいんだ、やるだけのことをやったらいいんだと思うことは、まったく違う。その違いが出ているような気がする」

ここにきて、やっと覚悟を決めた菅首相は、尻を切られた残りの時間で、何を成し遂げ、手がけた課題にどうめどをつけ、次代に向けてどんな道をつけるか、真剣に考え始めたのかもしれない。
※すべて雑誌掲載当時

自民党政調会長 石破 茂
1957年、鳥取県生まれ。79年、慶應義塾大学法学部卒。86年、衆議院議員。2007年、防衛大臣。08年、農林水産大臣。09年より、現職。

みんなの党代表 渡辺喜美
1952年、栃木県生まれ。早稲田大学政経学部、中央大学法学部卒。96年、衆議院議員。2006年、行政改革・規制改革担当大臣。07年、金融・行政改革担当大臣。09年、自民党を離党し、現職。

新党改革代表 舛添要一
1948年、福岡県生まれ。71年、東京大学法学部政治学科卒。79年、東京大学教養学部政治学助教授。2001年、参議院議員。07年、厚生労働大臣。10年、自民党を離党し、現職。

国民新党代表 亀井静香
1936年、広島県生まれ。60年、東京大学経済学部卒業。62年、警察庁入庁。79年、衆議院議員。94年、運輸大臣。96年、建設大臣。2005年、国民新党、結党。09年より現職。

衆議院議員 長島昭久
1962年、神奈川県生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。90年、石原伸晃衆議院議員公設秘書。92年、大前研一氏の「平成維新の会」参画。2003年、衆議院議員。09年、防衛政務官。

(原 貴彦、小原孝博、小倉和徳、岡本 凛=撮影)