早稲田卒が300人の小さな会社を選んだワケ
1979年生まれの神永が早稲田大学を卒業し、CAに入社したのは2003年。98年創業のCAが新卒の採用を始めたのは02年のことだから、新卒採用2期生ということになる。
現在のCAの社員数は連結で5000人強だが、03年当時の社員数はわずか300人。神永の同期入社は34人に過ぎなかった。一流大学卒の神永は、なぜ、こんなに小さな会社を選んだのだろうか。
「僕が入社した頃のCAは、学生の間ではまだまだ認知度が低かったですね。社長の藤田(晋)さんが、最年少でマザーズ上場を果たした経営者としてマスコミで取り上げられていたぐらいでした」
神永自身、CAに関する事前知識をそれほど持ってはいなかった。にもかかわらずCAを選んだのは、“下地”があったからだ。
「学生時代に、知人が立ち上げたベンチャー企業の手伝いをしていたんです。いまで言うeラーニング的なものを形にしようとしていた会社でした」
一度ベンチャーの空気を吸ってしまった神永は、もはや“日本的な大企業”で働く気持ちにはなれなかったようだ。その気分の核にあったのは、何だろうか。
「入社何年で係長、係長を何年やったら課長というようなスピード感に乗るよりも、自分次第で昇進の時間を圧縮でき、早くから裁量権を持てる会社で働きたかったのです。いずれ起業したいという気持ちも持っていました」
「猛烈営業マン」社長の意外な素顔
CAが創業以来、初の黒字を計上したのが04年、藤田晋が『渋谷ではたらく社長の告白』(アメーバブックス)を出版するのが05年のことである。
「僕が入社した03年のCAは、まぎれもなく“どベンチャー”でしたね」
神永ら新入社員は、全員がインターネット広告事業本部に配属された。現在はメディア事業、ゲーム事業、投資育成事業などさまざまな事業を展開しているCAだが、当時はインターネット広告事業しかなかったからだ。
神永は藤田直属の局に配属されることになった。人材派遣業のインテリジェンスに勤めていた時代、毎日始発で出勤していた逸話を持つ藤田には“猛烈営業マン”のイメージがあったが……。
「藤田さんは初めて会ったときから、物腰の柔らかい温和なイメージでした。いまでも基本、社員には優しいと思います」
かく言う神永も、“どベンチャー”の修羅場を生き抜いてきた割には、物腰が柔らかく温和なイメージである。
最長歴社員としての意地や焦りは、まだ見えない。