日本人の多くは無神論者とされているが、お金や学歴といった「宗教的なもの」への信仰は根強い。日々の暮らしに潜む宗教について、ジャーナリストの池上彰氏と作家で元外務省主任分析官の佐藤優氏が対談した——。

※本稿は、池上彰、佐藤優『宗教の現在地 資本主義、暴力、生命、国家』(角川新書)の一部を再編集したものです。

逆光を受けた古い教会の十字架
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「お金」という存在とこれからどう向き合っていくか

【池上】今回は、「資本主義と宗教」についての議論を進めていきましょう。

【佐藤】今、マルクス経済学というと、「何? そんな古びたものを」と感じる人が多いでしょうが、私も池上さんも一応はマルクスの『資本論』に影響を受けた世代です。なおかつ、そこに書かれている資本についての理屈──お金の使い方についての理屈──は、それなりに説得力があると私は思っています。

お金というのは、人間と人間の関係から生まれてくる。つまり何かを交換するときに物々交換では間に合わなくなったので、いったんお金に換えてからモノとモノを交換するようになった。しかし、モノがいつもお金に換わるわけではない。ところがお金があれば、いつもそれはモノに換わる。ここから、お金に力が生まれてしまう。さらにそのお金はお金自身をどんどん増やしていき、資本という形での運用が可能になる、といった理屈です。