「頑張ったで賞」は確実になくなる

僕は営業職である。営業という仕事でもっとも重要かつ難しいのは、新規客との面談を取り付けることである。テレアポやDMなど切り込む手段はいろいろあるが、古来より、ある一定の結果を出し続けているテクニックがある。「たまたま近くにいるんですけど」である。

なかなか会えない見込み客の近くまでいって電話をかけて、「車で百キロほど離れたホニャララ商事の者です。たまたま近くまで来ているので、営業トークもいっさいしませんので名刺交換だけでもお願いいたします」と告げるテクニックである。

ポイントは「距離を匂わせるフレーズ」をいれること、「たまたま」といいつつわざわざ会いに来ているようなわざとらしさをニュアンスに込めること。「私はあなたに会うためだけにこれだけ頑張っております」というメッセージを匂わせるのだ。

僕が20世紀から駆使しているテクニックだが、21世紀になってから20年たっても一定の成果を出し続けている。テレワークの世界でこのテクニックは通じない。まず担当者が在宅勤務なので、アポなしで赴くという努力が無効化される。それから名刺交換も「メール送っておいて」の一言で無効。会社案内や提案書もデータで求められるが、読まれずにゴミ箱行きは確実である。

このようにテレワークが普及した社会は、「頑張ったで賞」が認められないさみしい社会であることも心にとどめておいて損はないだろう。

テレワークが見落としてしまうもの

テレワーク導入でムダを排した結果、見逃してしまう成果も出てくるはずだ。

たとえば在宅勤務者同士がオンラインで打ち合わせをする。要点のまとまった効率的な話し合いになる。データをやりとりしてその場でプロダクトを組み上げていけばその場で結果を出せる。ようやく時間や場所といった制限や、クソ上司のいちゃもんから解放された、われわれが待ち望んだ意味のあるミーティングができるような時代になったのだ。

だがそこに、ミーティングルームで顔を突き合わせて行われていた打ち合わせと同等の遊びやライブ感はあるだろうか。ない。感情がむき出しになるのを中和するその場の雰囲気はあるだろうか。ない。

僕はまだ経験はないけれども、オンライン会議で、ツイッターで見られる醜い応酬のような、感情がストレートに出てしまう事態も起こりうるのではないか。また、遊びやライブ感がないためにアクシデントや意外性のあるアイデアが生まれにくくなるかもしれない。

オンライン会議の画面の向こうでコロンブスが有名な卵のあれを実演しても、つまらない末端ユーチューバーの動画に見えてしまうのではないか。卵のアレは会議室のデスク、目の前で実演してこそ、サプライズとなりうる。

実際、会議室のなかでコップの水がこぼれる、鉛筆を落とす、資料を忘れるといったリアルなトラブルやアクシデントから生まれるアイデアを僕は否定できない。画面の向こうで水がこぼれても自分の問題としてとらえるのは難しいからだ。