時代劇で、侍が「拙者は水戸藩の者でござる」などと名乗るシーンがある。だが、このセリフには大ウソがある。歴史研究家の河合敦氏は「当時使われていた言葉では分かってもらえない場合、あえて誤りと知りながら侍にしゃべらせることがある」という――。

※本稿は、河合敦『禁断の江戸史 教科書に載らない江戸の事件簿』(扶桑社新書)の一部を再編集したものです。

時代考証で一番大変なのは言葉遣いの確認

最近、NHK時代劇の時代考証を担当することが増えた。時代小説を原作に脚本家が書いた台本をチェックするのが主な仕事だ。時代背景が間違っていないか、当時としてあり得ないような場面設定がないかなどを当時の文献や研究書などを片手に調べていく。中でも、一番大変な作業が、言葉遣いの確認である。

伝統的な日本のサムライ 浪人
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たとえば江戸時代のドラマなら、この時代に使われていなかった言葉をすべて拾い上げていくのである。そして、それらを江戸時代に使われており、なおかつ、いまの視聴者が耳にしても理解できる言葉に言い換えてあげるのである。この変換作業が一番の労力を要する。

とはいえ、すべてを入れ換えることは不可能である。たとえば、家臣が殿様に自分の意見を書面で述べることを台本では「建白けんぱく」と表記してあった。だが、この言葉の使い方は正しくない。なぜなら「建白」は明治初年になってから本格的に使われはじめた語句だからだ。とはいえ、当時使われていた「上書」という言葉だと、とても現代人には理解できないだろう。

同じように「財政」という言葉、これも明治時代になってから用いられた語だ。とはいえ、江戸時代の「勝手向き」などと言っても、わかってもらえない。そんなときは、あえて誤りだと知りながら「建白」や「財政」という言葉を侍にしゃべらせるしかない。

江戸時代に「藩」という言葉はなかった

このように時代考証はけっこう骨が折れる仕事なのだ。ちなみにこの仕事をして気づいたのが、脚本家たちが当たり前のように台本に書き込んでくる語句があるということだ。その代表が、「~藩」、「藩士」、「藩邸」というワードだ。

おそらく読者諸氏も、「藩」という用語は、江戸時代に広く使われていたと考えているだろう。なぜなら、ふつうに教科書にも登場してくるからだ。たとえば中学校の教科書を見ると「幕藩体制の始まり」(『社会科 中学生の歴史』帝国書院)、「幕藩体制の確立と鎖国」(『中学社会 歴史~未来をひらく』教育出版)といったように、項目の一つになっている。

ちなみにこの「幕藩体制」という言葉だが、幕とは将軍を頂点とする中央政権である江戸幕府のこと。そして藩とは、藩主を頂点とする地方政権をさしている。この将軍と藩主(大名)は主従関係で結ばれ、ともに強い領主権を持って土地と領民を支配する。このシステムを幕藩体制と呼ぶのである。