プロゲーマーは未成年のアマチュア選手の管理が不十分
さて、一年間にプロ野球選手になれる人はセ・パ12球団を合わせても200人ぐらいでしょう(外国人選手の入団を除く)。独立リーグを合わせるともっと数は増えますが、いずれも厳しい世界です。同様にプロゲーマーになれる人も、ゲームをする人のごく一部でしょう。非常に倍率の高い競争を潜り抜ける必要があり、プロ選手になるのはとても大変なことです。
しかし、ゲームにおいてプロ選手になるための壁が厚いことは、一般のスポーツなどでも同様であり、それ自体が問題とはいえません。問題なのは、プロゲーマーを目指している未成年のアマチュア選手の管理が不十分であることです。そしてゲームが持つ依存的な特性ゆえに、最低限の学業でさえもおろそかになってしまう恐れがあるのです。そうなると、プロゲーマーになれなかったときに、全く何も残らない可能性があります。
要するに、野球やサッカーなどの一般のスポーツとゲームが決定的に違う点は、ゲームは依存物であるにもかかわらず、学業や仕事の継続に関して「自己責任」の名のもとにほとんど管理・支援されていない点です。
「自己責任」で通学、就労をしていないと、プロゲーマーになれなかったときに中学卒業以上の学歴や職歴は担保されません。これを「自己責任」で片付けるのは、世間を知らない未成年者にとってあまりにも過酷であると思います。
「ユーチューバー」という言葉が批判をかわす盾に
いま流行りの「ユーチューバー(YouTuber)」においても、同様です。「ユーチューバー」とは独自で制作した動画を継続的にユーチューブ上で公開する人のことで、広告収入を収入源としています。
動画作成することに依存性があるかどうかはかなり個人差があると思われ、議論の分かれるところだと思いますが、「ユーチューバー」が(ごく一部の人の)仕事になったために、動画作成が「遊び」に留まらず、「職業訓練」や「仕事」として考えられるようになりました。
また他者の動画を「研究」「調査」しているという名目で、長時間インターネットを視聴していることを肯定する理由にもなり得ます。eスポーツと同じく、「ユーチューバー」というワードが、ネット依存症に対する周囲の人の批判や、自己の罪責感をかわす盾になっている可能性があるのです。