自己責任の不完全な子供がゲームに触れるリスク
また一般のスポーツと異なり、ゲームには、野球場のような特別な設備も1カ所に人を集める必要もありません。しかるべき管理者、指導者がアマチュアの練習やゲームプレイを管理するというスタイルも、現状ではあまり見られないようです。実際、久里浜医療センターの受診者の中にはアマチュアのゲームチームに属している人もいますが、学業や仕事との両立をまともに管理・支援されているという話は聞いたことがありません。
現状ではほとんどの場合、学校の授業時間や深夜にゲームをするかどうかも「自己責任」です。オンラインゲームが盛り上がる時間は深夜であることが多いのは事実でしょう。ゲームと学業・仕事を両立させるかどうかもますます「自己責任」になります。
「自立した大人」が、自分で貯金したお金を切り崩して生活しながら一日中ゲームをしているのを他者が責めることはできません。しかし、自己責任が不完全なはずの未成年者に対する「自己責任」の適応は、その名のもとに学業・仕事の障害となり得ることを「放置」しているのと同じです。自己責任の不完全な未成年者が依存物に触れ、依存症になってしまうのが実は最も問題なのですが、これは追って触れることにします。
ましてやオンラインゲームに依存性があることを考慮すると、学業・仕事の障害となっていることを「促進」しているともいえます。つまり現状では、eスポーツも含めたオンラインゲームは、教育や就労と対決しているといっても過言ではありません。
「プロゲーマーを目指している」という言い訳
ゲームは他の一般的なスポーツと異なり、しかるべき指導体制も管理体制もなく、あるのは「自己責任」だけだと述べましたが、「自己責任」という名の「放置」について、さらに考えてみましょう。
たとえば、「プロゲーマー」になれるような実力はなく、ただ学業や就労がおろそかになっている依存的なゲームプレイヤーでも、「プロゲーマーになるために日々練習している」「プロゲーマーになる夢を追っている」「プロゲーマーになるのに学業は必要ない」というと、周囲の人(特にゲームのことをよく知らない大人)は違和感を覚えつつもそれを否定してはいけないような気になってしまいます。
これは、「ゲーム」がごく一部の人の仕事になったために、ゲームプレイが「遊び」に留まらず、あたかも「職業訓練」のようにみなされたともいえます。でも、よく考えてみてください。このことは重大です。
ゲームが「遊び」でも、「依存物」をやりすぎているのでも、「依存症(ゲーム障害)」状態なのでもなく、「職業訓練」をしているということになったのです。「プロゲーマー」を目指しているということが、周囲の批判や自己の罪責感をかわす強固で危険な盾になり、さらに依存症の悪化・長期化をまねく可能性があるのです。