1990年代前半、3000軒近くあった銀座のバー・キャバレー・ナイトクラブは半分以下に減少。企業の交際費はバブル期の半分になり、言わずもがな、高級クラブにも不況の波が押し寄せている。出版不況も相まって老舗の文壇バー「ザボン」の水口素子ママは遠のく客足に危機感を覚えている。古き良き銀座の文化はこのまま衰退していってしまうのか。
クラブザボン●1978年開店。名付け親は小説家の丸谷才一。カウンターのみ3坪の店から始まり、2年で、13坪の店へ。さらに3年で、現在の20坪に。店には文壇の大御所や編集者たちが集う。

銀座の文壇バー・クラブザボンの始まり

クラブザボンは私のすべてです。赤坂に出した蕎麦割烹も、故郷の鹿児島に出した店も、なくしてしまいました。商売と本当の愛の両立は成立するはずもなく、結婚もあきらめました。ザボンも不景気に負け、お客様が少ない日も多々あります。銀座のママというのは弱音を吐かず、教養のある話しかしてはダメなのですか。たまには、私が送ってきた「恥の多い生涯」について、少し話をしてもよいですか。

銀座老舗文壇バー「ザボン」ママ 水口素子氏
銀座老舗文壇バー「ザボン」ママ 水口素子氏

私のお店、クラブザボンは1978年、銀座6丁目で始まりました。広さはたった3坪。カウンターの席しかない、とても小さなお店でした。

突然ですが、銀座のクラブ「おそめ」をご存じでしょうか。文壇バー1号店とも呼ばれる有名なクラブです。川端康成、白洲次郎、小津安二郎など著名人が通っていたお店で、偶然にもザボンが生まれた78年に閉店しました。その「おそめ」にいた女性が開いたのがクラブ「眉」。