不干斎(ふかんざい)ハビアンは戦国時代末期の人である。はじめおそらく臨済宗の禅僧であったが、のちに改宗して、キリシタンになった。仏教・儒教・道教・神道に通暁した学識豊かなイルマン(修道士)として、際立った活躍ぶりを示した。『妙貞問答』で仏教批判の先鋒を担ったが、突然、修道女を伴って棄教。晩年に『破提宇子(はだいうす)』という烈しいキリシタン批判の書を著して死んだ。一世において禅僧、キリシタン、背教者という振幅の多い経験をした人物である。

このハビアンを近世日本史上に輝く傑物と見る人もいれば、「転向者の元祖」、日本型インテリゲンチャの原型と見る人もいるし、山本七平のように「日本教徒」の祖型と解する人もいる。それだけ謎めいた、奥行きのある人である。にもかかわらず、ハビアンについての本格的研究がなされるようになったのはかなり近年のことである。