著者は早稲田大学教授で科学をわかりやすく伝えるサイエンス・コミュニケーションの第一人者である。本書は副題に「科学と文学の出逢い」とあるように、小説・エッセイ・映画などを科学者の目で楽しむ理系の文学論である。
なかには50作以上の作品が取り上げられている。たとえば、ネス湖の巨大生物ネッシーを題材にした映画『ウォーター・ホース』を用いて生態系を語り(34ページ)、池澤夏樹の文学書『星に降る雪』から素粒子ニュートリノの最新天文学を導き出す(64ページ)。スピルバーグ監督のSF映画『A.I.』に描かれた人工知能を紹介しつつ、ノーベル賞学者ローレンツの名著『ソロモンの指環』の刷り込み理論を絡ませてゆくあたりは、著者ならではの見事な切り口である(125ページ)。
科学のアウトリーチ(啓発・教育活動)に役立つ逸話だけではない。原子爆弾を生んだマンハッタン計画に関わった物理学者ファインマンが、結核で先立たれた妻と交わした純愛物語に涙を流さぬ読者は、いないのではないか(160ページ)。
著者は、もともと学問は楽しいものである、と説く。「学問とは本来、楽問である。(中略)面白さを味わう知的営みこそが、学問の原点なのである」(iiiページ)。
そのように考えれば、学問が文系か理系かにこだわる必要もなくなる。「娯楽性と知的好奇心が共存して融合し、ジャンルを超えた作品群の中で一体化することは、決して違和感のある話ではない」のである(iiiページ)。
文系と理系の区別はあまり意味がない、と言われて久しいが、世人の多くはまだそう思っていない。著者も私もその区別をなくそうと暗中模索する日々である。私の場合には、思考法や戦略を語りつつ文理の壁を取り外そうとしてきたが、著者は文才をフルに発揮して、文芸作品や映画を鮮やかに料理する。実は、この能力には理系の誰もかなわない。
文理融合の試みは、最終章「芸術の美 科学の美」で華やかなフィナーレを迎える。わが国の科学アウトリーチの先達としての著者だけが書ける一つの作品であろうか。
その冒頭には夏目漱石の短編『夢十夜』が引かれる。鎌倉時代の仏師、運慶が硬い木の中から仁王を彫り出す個所を受けて、「漱石は『夢十夜』において、芸術作品の創造を、天賦の才に恵まれた人物が、自然の中にすでに隠れ潜んでいる美を取り出す行為として表現している」(205ページ)と記す。これは芸術の本質であるだけでなく、科学的発見にも通じるものである。
そのあとで著者は的確な解説を付す。「いくら観察をつづけても、隠れた自然の本質は決して浮かび上ってはこない。(中略)鑿のみと槌つちにあたる科学の道具(方法)は実験と並んで理論」なのであると喝破する(211ページ)。こうして運慶と物理学者は同じ線上に並ぶのだ。
著者は、科学には「歯ごたえのある美しさ」があると言う(233ページ)。美味しい食材には、しばしば歯ごたえという食感が深く関わっている。サイエンスの「歯ごたえ」を上手に伝えるには、芸術家の能力も必要なのである。かのアインシュタインが「物理学の理論をそれが美しいか否かで評価した」(218ページ)というエピソードもあるくらいだ。本書は、文理融合を超えて芸術と科学の融合まで目論んでいたのである。