選手でも小学生でも自分で判断させる理由

仁賀は老若男女、誰に対してもスタンスを変えない。トップアスリートにも一般の高齢者にも同じ姿勢で向き合い、患者が小学生でも復帰する時期を自分で決めてもらう。

一流選手に学ぶケガを克服する医者と治療への向き合い方

「もちろん診断はするし、状態や治療方針は伝えます。でも最後に決めるのは本人です。今リスクを懸けて復帰するか、将来活躍するために今は休んでしっかり治すか子供に問います。『う~ん』と悩むと、親が決めようとしますが、あくまで子供自身に決めてもらう。医者や親に決めてもらっていたら、いつまでたっても自分で判断する選手になれませんからね」

17年の世界バドミントン選手権でシングルスを制した奥原希望(当時22)も、仁賀が行った2度の手術の決断を自分で下したという。

「最初は高校3年生のときで、左ヒザの半月板損傷でした。手術のメリットとデメリットを説明し、自分で決めなさいと伝えました」

世界選手権を控えていた奥原はすぐに手術はせず、2カ月間様子を見た。

「その間に機能不全が相当深刻化し、術後の復帰に時間がかかったのですが、後にお父さんからは『あのとき、娘に判断を委ねてくれて本当に感謝しています』と言っていただきました」

手術を受けた奥原は、半年以上に及ぶリハビリを経て復帰すると、国際大会で準優勝するまで回復した。ところがその翌週に、今度は右ヒザの半月板を痛めてしまう。

「2度目はすぐに手術を決断。2カ月後には完全復帰を果たしました」

15年に世界のトップ8によるスーパーシリーズファイナルを制すと、16年3月には全英オープンでも優勝。その夏のリオ五輪では、シングルスで日本初の銅メダルを獲得した。

「彼女は計1年半もリハビリに費やしたのに、1度も不満を洩らしたことがない。奥原さんは言うんです。『先生、嬉しいのは勝った瞬間から表彰台に上るまで。もう降りるときからはプレッシャーと闘っています』と。この心境は患者さんと向き合う僕も同じです」

奥原はすべてを自分で決断したからこそ、迷いなく厳しいリハビリに取り組めた。それはおそらく一般人の医師との正しい向き合い方を示唆している。もう1つ、奥原の精神力の強さを物語る格好のエピソードがある。

「世界選手権決勝の終盤、相手にマッチポイントを握られかけたシーンで奥原さんは笑ったんです。後で聞いたら『私も上から俯瞰して笑っている自分を見て怖かった。でも勝つイメージしかなかった』そうです。そこから連続ポイントで逆転勝利。レッズでは、闘莉王が試合で追い込まれたときに『楽しまなきゃダメだ!』と言ったんですが、その意味がわかったような気がします。究極に追い込まれた局面でも緊張しているようじゃダメなんですよね」