50代まで「広告の仕事に向いていない」とわからなかった

【山口】仕事とのフィット感といえば、先日、大学のゼミの先輩からこんな話を聞きました。彼女は50代で私がかつて勤めていた電通の先輩でもあるわけですが、僕の同期(49歳)から初めて役員が出たというのです。40代で電通の役員というのは相当に早いと思いますが、彼女はその人事を知って、「私は広告の仕事に向いていなかったことがやっとわかった」と言うのです。

コンサルタントの山口周さん
撮影=プレジデントオンライン編集部
コンサルタントの山口周さん

【楠木】50代にして初めて気づかれたわけですね。

【山口】なんと声をかけるべきか迷いましたが、見方によっては、こうした事態の背後には、働かせる側の極めて精密かつズル賢いやり方があるとも言えます。銀行なんかが典型だと思いますが、新入社員に「いつかは役員になれるかもしれない」という夢を抱かせて、その夢を可能な限り引っ張るというゲーム。役員になれないと分かった瞬間に転職を考えるか、会社にブラ下がって定年まで適当にやればいいやと思ってしまう人が多いわけですから、働かせる側からすれば、モチベーションが高い状態でいつまでも働かせるためのゲームと言ってもいい。

【楠木】電通のように大きな会社には、さまざまな職種があるはずです。にもかかわらずその先輩は、自分にフィットする仕事を見つけられなかったのでしょうか。

【山口】たしかに広告営業だけでなく、広報とか地域再生とかさまざまな仕事があるわけですが、そうした「違う打席」に立ってみるということもしなかったようです。

「スキルよりもセンスがモノを言う時代」の本当の意味

【楠木】自分が現在の仕事に向いているかどうかという、メタ認知が働かなかったと言っていいかもしれませんね。

【山口】僕はこういう現象が、いろいろなところで不幸を生み出していると思うのです。国力を下げる原因になっていると言ってもいい。自分が現在の仕事に向いているかどうかに意識的になるのが難しいのならば、極論ですが、30歳になったら日本人全員が一度転職をしなければならないという制度を作ったほうがいいんじゃないかとすら思います。

【楠木】いまの山口さんのお話には、けっこう厄介な問題が潜んでいると思います。つまり、日本人の誰もが30歳で一度転職しなければならないとなると、30歳までに労働市場でプライスがつく能力を身につけなければならないという意識が働くことになるでしょう。しかもその能力は、一企業の枠を超えて通用する、つまり特定の企業の中だけで通用する能力ではなく、ポータブルなものでなければならないということになる。

われわれ、『「仕事ができる」とはどういうことか?』の中で、「スキルよりもセンスがモノを言う時代ではないか」というテーマを中心に議論しているわけですが、労働市場でプライスがつき、しかもポータブルな能力となると、それはどうしても「スキル」になってしまう。本の中でも再三指摘していることですが、スキルとは「TOEICが何点」というように説明も計測も可能なものであり、一方のセンスは、説明も計測も不能なものですね。

となると、30歳の一斉転職制度によってある種の問題は解決するのかしれませんが、本質的に自分はどんな仕事に向いているのかを見極めるという問題とはズレてしまう可能性もある。そこがちょっと厄介なところだと思います。