損か得か幸福か不幸か

以前の経済学では、人間を単純に合理的に考える存在とみなすところから出発していた。しかし実際は、多くの人が必ずしも狭い意味の合理性では説明できない行動を取り続けている。

この場合の損か得かという話を、幸福か不幸かという話に置き換えてもいいだろう。そう考えていくと、人は幸福より不幸を過大評価する傾向があるのかもしれない。

未曾有の被害を出した東日本大震災も、幸福の経済学にとって重要な分析対象となる。震災の影響を直接受けた人は、経済的な影響も大きく、不幸な状態は長く続くかもしれない。その指標を調査することで、より迅速な政策や対策に活かせる可能性がある。

あるいは阪神・淡路大震災を体験した関西の人たちや、さらには西日本の人たちにとっては、直接的な被害はなくとも、不幸なニュースに接すると、自分のことのように感じて幸福感が下がるかもしれない。そうした幸福度のデータがどのようなパターンで変化するのかも、幸福の経済学にとっては今後の重要なテーマである。

ハリケーン“カトリーナ”で被災地の人の幸福度は?
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ハリケーン“カトリーナ”で被災地の人の幸福度は?

少し前の例では、05年にアメリカ南東部を襲った大型のハリケーン、カトリーナは死者、行方不明あわせて2千数百人という犠牲者を出し、膨大な避難民を生んだ。このときの政府の対策の遅れに人びとの不満は噴出した。

しかし、被災したルイジアナの住民とアメリカ全体の人々の幸福度を調査してみると、ともに一度不幸になったものの、比較的短期で平常の値に戻っていることがわかった。ただし、ルイジアナの住民が被災前と同じ幸福な状態で暮らしているかどうかは、また別の問題だ。もしかして、この場合の指数は、不幸に針が振れたという変化を知らせているだけかもしれない。

こうした過去の例との比較も行いながら、幸福の経済学は、社会の状況を示す重要な指標としてますます注目されていく可能性がある。なぜなら経済学が取り扱うのは、ロボットのような人間像ではなく、嬉しければ笑い、哀しければ涙を流す、感情を伴った人間であるからである。

(構成=中村尚樹 撮影=熊谷武二)