「皇紀」を生んだ辛酉大革命という思想

だからこそ、「聖徳太子がいた時代こそ、日本という国ができた年である。日本ができた年こそ、辛酉の大革命が起こった年である。では、そのもう一つ前の辛酉の大革命の年とは何だ? 聖徳太子クラスの人物の関与ということであれば、こここそが、神武天皇が即位した年次であるに違いない」と、明治の歴史学者たちは考えた。

わかりやすく言うと、1回目の辛酉の大革命では神武天皇の即位があり、その1260年後となる2回目の辛酉の大革命で、聖徳太子が国を作った。そう当時の研究者たちが結論づけた結果、神武天皇即位を原点とした「皇紀」が誕生しました。逆に言えば、この辛酉大革命という思想を受け入れていなかったら、皇紀というものは生まれなかったとも言えます。

その結果、紀元前660年1月1日こそが日本建国の日になりました。ただ、これは太陰暦の日付なので、太陽暦に直すと2月11日です。そこで、明治6年となる1873年に、2月11日を「紀元節」とし、日本の建国記念日として定めました。

「この日を本当に日本の建国記念日としてよいのか」

戦前は紀元節に盛大なお祝いをしていたのですが、戦後になると、より冷静な考えが広まり、「この日を本当に日本の建国記念日としてよいのか」という疑問が浮かんできます。先に挙げたように、文献史料は何もないので、当然立証できない。GHQの意向もあり、戦後しばらくの間、建国記念日は日本から消えました。

ところが、1950年代初頭、日本の国力が勢いを増したことで、日本に再び建国記念日を復活させようという動きが始まります。アメリカの独立記念日(7月4日)や、韓国が日本の統治から離脱した日を祝う光復節(8月15日)のように、世界各国にその国の誕生日があり、それなりにお祝いをしている。ならば、日本にも国の誕生日があっていいだろう、と。

ただ、いざ日にちを決めるとなると、右派と左派の間で、かなり大きな論争が繰り広げられることになります。右派としては、「紀元節」にのっとって、以前と同じ2月11日を推薦する。でも、左派側は、「2月11日が建国記念日である科学的根拠がない」として猛反対する。

たしかに、紀元前660年に神武天皇が存在したという話自体が、まったくの神話世界の中の話であるため、何の根拠もない。こうした主張については、右派側も認めざるを得ません。