ノートのおかげで苦しみと真正面から向き合うことができた

そのノートには、『四書五経』などの古典や経営者の著書から抜き出した言葉と、試合後の自分の気持ちが書かれています。

白いページに書き写したたくさんの言葉を読み返し、嚙み砕き、身体に染み込ませる作業によって、私は苦しみと真正面から向き合うことができました。19年シーズンに味わった苦しみにはきっと意味がある、と思える自分に目覚めたのです。先人たちの言葉が、教えが、生き様が、支えになっていると感じました。

スポーツでも仕事でも、人間関係の構築でも、何かを生み出す過程では苦しみや悩みが付きまといます。その種類には小さなもの、大きなもの、長いもの、短いものがあるでしょうが、誰しも何かしらの苦しみや悩みを抱えているものでしょう。

易経』の教えに「窮すれば即ち変ず、変ずれば即ち通ず」というものがあります。「事態がどうしようもなく行き詰まったら、そこで必ず変化が起こり、新たな展開が始まる」といった意味です。

苦しみや悩みを乗り越えることでこそ、何かを生み出すことができる。昨日までとは違う自分、違う組織、違う友人関係が生まれてくるでしょう。

苦しみ、悩み、悲しみ、痛みといったものがあるから、次はいいことがやってくると思うこともできる。負の出来事から目を背けずに真正面から向かっていくことで、突破口を開いていきたいものです。

一日の終わりには絶望の淵を彷徨っていた

論語』に収められている孔子の有名な言葉に、「三十にして立つ、四十にして惑わず」というものがあります。「30歳にして学問の基礎ができて自立し、40歳にして迷うことがなくなった」という意味ですが、29歳までプロ選手として野球に打ち込んだ私は、セカンドキャリアをスタートした30歳の時点で学問の基礎がまったく出来上がっていませんでした。スポーツキャスターという肩書きで様々なジャンルの方々と出会い、会話を重ね、たくさんの教えや気づきをいただくなかで、社会人としての知識やスキルを身に着け、野球選手としての自分を見つめ直すことができました。

83年にドラフト外でヤクルトスワローズに入団した私は、プロ生活をスタートさせた翌84年からガムシャラな日々を過ごしていきます。チームメイトは天賦の才に恵まれた猛者ばかりです。高校時代に甲子園で活躍したわけでもなく、大学時代に東京六大学で名をあげたわけでもない私は、自分がどれほどちっぽけな存在なのかを強烈に思い知らされました。

一日が終わって日が暮れると、気持ちは墨で塗ったように真っ暗になります。明日の練習でチームメイトに力の差を見せつけられることが、いや、自分のレベルの低さを突き付けられるのが怖くて、絶望の淵を彷徨っていました。

2軍監督やコーチに温かく厳しい指導を受け、家族の励ましにも支えられて、入団1年目のシーズン終盤に1軍でプレーすることができました。2年目以降はメニエール病と闘いながら、1軍での試合出場を増やすことができました。