言うは易く行うは難し「その人中心のケア」

ボクは2000年に認知症ケアを研究する高齢者痴呆介護研究・研修東京センター(現・認知症介護研究・研修東京センター)のセンター長となり、医療だけでなく、介護の分野にも深くかかわるようになりました。当時、認知症ケアをどうしたらよいかは手探りで、みんなが共有できる指針や理念がなかなか見つかりませんでした。

そんなときに偶然、トム・キットウッドが書いた“DEMENTIA RECONSIDERED”(1997年刊)という本と出合って、これだ! と思ったのです。この考えをぜひ、日本中に広めたいと思いました。

あれからかなりの年月がたっても、「パーソン・センタード・ケア」の重要性は少しも変わっていないと感じます。「一人ひとりが違う」「一人ひとりが尊い」「その人中心のケアを行なう」……言葉でいうのは簡単ですが、実行するのはなかなか難しい。ぜひ、認知症の人と接するときに、この言葉を忘れずにいていただけたらと思います。

ケアを必要としている人と「同じ目線の高さ」で

ボクが大好きな物語があります。聖マリアンナ医科大学に勤めていたとき、同僚だった方が、あるコラムに書いたものです。たしか、次のような内容でした。

公園を歩いていた小さな子が転んで泣き出しました。すると、4歳くらいの女の子が駆け寄ってきました。小さな子を助け起こすのかと思って見ていたら、女の子は、小さな子の傍らに自分も腹ばいになって横たわり、にっこりと、その小さな子に笑いかけたのです。泣いていた小さな子も、つられてにっこりとしました。しばらくして、女の子が「起きようね」というと、小さな子は「うん」といって起き上がり、二人は手をつないで歩いていきました——。

ボクは、この女の子は「パーソン・センタード・ケア」の原点を表しているように思うのです。泣いている、転んだ小さな子のもとに駆け寄って、上から手を引いて起こすのではなく、まずは自分も一緒になって地面に横たわり、その子の顔を見る。

これは、ケアを必要としている人と同じ目線の高さに立つということです。それから頃合いを見て、自分で起き上がってみようと勧めます。自力で起き上がることができた小さな子は、さぞうれしかったことでしょう。

下手に手を貸さず、しかも貸しすぎない

下手に手を貸さず、しかも貸しすぎない。時間をかけて十分に待つ。自主性を尊重しつつ、さあ、前に向かって進んでみようと誘ってみる。この女の子が見せてくれたような、こうしたケアが日本中に広まったらいいなと願ってきました。

思えば、ボクが認知症とかかわりはじめたころは、みな、認知症の人とどう接したらよいのかわからず、部屋に閉じ込めたり、薬でおとなしくさせたりしていました。そうしたことが、いまでもないとはいえません。それでも日本のケアは大きく進歩したし、改善したと感じています。