個人データは「保存するが、公開しない」ルールで
必要以上に個人データを保有することや残すことには漏洩のリスクがあるので、必要がなくなったもの=保存期間を経過したものは積極的に廃棄すべきであるとの見解もある。しかし、情報漏洩のリスクくらいにきちんと対策を講じられない日本政府が、軍事力をはじめとする国家権力を適切に行使できるのであろうか?
これから世界は、データ覇権戦争に突入する。データを握り、活用できる国が勝つ。国防の分野でもそうだ。
そのような時代にあって、政府保有の記録・データが簡単に漏洩するようでは、国家として成り立たない。ある程度の重要性のある記録・データは、きちんと永久保存できるくらいの日本政府組織というものを目指さなければならない。
そして個人情報を保存しているからといって、それを全て公開するかどうかは別問題である。保存することと公開することはまったく別のことであり、保存していても公開になじまない個人情報は公開すべきではない。逆に公開になじまないからといって、どんどん廃棄すればいいという話でもない。
(略)
維新・足立議員の「公文書管理館を憲法に明記」案に大賛成
公文書管理についての日本政府の思想を抜本的に改めようと思えば、まさに憲法を利用することが極めて有効だ。
ちまちまと個別に細かな法律を作るのではなく、国家の骨格として憲法に公文書管理の思想を定める。国家を一気に動かすものがまさに憲法だ。
公文書管理館を憲法に明記したらどうかというアイデアは日本維新の会の足立康史衆議院議員が提唱している。僕は大賛成だし、これこそ野党が国民の支持を掴む重要な戦術だと思う。安倍政権の不正にこだわるのではなく、自民党にはできない大胆な提案。
まず公文書管理館を憲法に明記して、憲法機関にする。現在明記されている国会、内閣、裁判所、会計検査院という機関に加えて、公文書管理館も憲法機関にする。民主国家を支える重要な国家機関だとはっきりと位置付けるんだ。
その上で「国家権力が動いたことの記録は原則全て保存する」という趣旨の一文も憲法に明記する。これを公文書管理の根本思想とする。そして、保管方法、保存期間等の技術的事項は法律で定めることにする。
(略)
憲法は国家組織に対する国民からの命令規範である。すなわち、国家組織は憲法に従わなければならないし、憲法に沿う法律がなければ、それを作らなければならない。通常の法律は、それを作るかどうかは国会議員の裁量に委ねられるが、憲法に方針が明記されると、その方針に基づいた法律を作らなければならない義務が国会議員に生じる。裁判所も憲法に沿うルールを作らなければならないことになる。各国家機関が法律や内部ルール(規則)などでちょこちょこと個別対応するよりも、国家権力に携わる者の意識を一気に変え、国家の根本哲学として「記録・データは原則すべて保存すべき」ということを根付かせるためには、憲法改正を利用すべきだ。
不磨の大典のごとく、何も変えずに奉り続ける存在が、憲法なのではない。憲法とは国民が国家を動かす道具だ。
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※本稿は、公式メールマガジン《橋下徹の「問題解決の授業」》vol.181(12月24日配信)の本論を一部抜粋し、加筆修正したものです。もっと読みたい方はメールマガジンで! 今号は《【桜を見る会問題(5)】データ廃棄を「罪」とは思わない日本政府の意識を変えるためにすべきこと―憲法改正―》特集です。