日本の中小企業が銀行の貸し渋り、貸しはがしに苦しんでいた時期でも、3桁近い新規融資を達成し、9期連続して実績表彰を受けた法人営業マンがいる――。
初めての新規獲得で得た若き日の成功体験と自信
鈴木義則さんが前職の虎ノ門支店(東京・港区)で残した新規顧客開拓件数は98件。バブル崩壊後の1990年代半ば以降、金融業界とその融資対象である日本企業全体がデフレ不況にさらされ、「在任中、頑張っても新規は2件しか獲得できなかった」などとこぼす銀行マンも少なくなかった。4年6カ月という1つの支店においてはやや長めの在職期間とはいえ、単純計算で毎月1~2件の新規開拓をこなしたことになるのだから、鈴木さんは、「デキる」というようなレベルはとうに通り越している。
93年、旧富士銀行に入行してから、ほぼ中小企業融資一筋に歩んできた鈴木さん。新規開拓のコツを尋ねると、「愚直に訪問活動を続けることです」と、あっさりと答えた。トップ営業という肩書から想像される「力み」や「ぎらつき」など微塵もない淡々とした雰囲気だ。
最初に配属された支店は蒲田支店(東京・大田区)だった。同支店池上出張所のエリアで渉外マンとしての第一歩を踏み出した。毎日自転車で走り回りながら、ようやく新規開拓を経験したのは入行2年目の95年3月のこと。年商10億円規模のお菓子卸会社に運転資金の融資に成功した。
「3月期末日の前夜、社長のご自宅へ上司と一緒に訪問し、銀取約款(融資契約)を締結したんです」
その日、上司と出張所に帰って事務処理を終えた後、あげた祝杯の味が格別だったと、鈴木さんは懐かしそうに語る。
「顧客ファイルの真っ白なページの1行目に、自分の記した字が最初に入る。社内でその会社と新規取引したのは自分ひとり。その喜びは格別のものでした」
当時の上司が支えてくれて実現した、この若き日の成功体験と自信こそが、鈴木さんの後の活躍につながっていく。
腕をさらに磨いたのは岡山支店(岡山県)だった。幅広い業種の準主力先を担当するのと並行し、飛び込みセールスの新規開拓を図るために県内を飛び回った。様々な業種の特性を学びながら、新規訪問における「阿吽の呼吸」を体得した。
「1回目で社長など実権者の方と簡単に面談できるようなケースは、借り入れを相談されても審査セクションから融資実行の承諾が得られないことがままある。むしろ、初回は門前払いされるようなケースのほうが後につなげられる。また訪問するぞという気になりますね」