モヤモヤしてもいいときとだめなとき

だから、人が集うイベントというものは、意識して成長させ続ける、変化させ続けることがすごく大事なんです。その過程で集まる目的が変わってくる場合もある。

たとえば最初は「学ぶこと」が目的であっても、回を重ねていくうちに「いつものメンバー(いつメン)と会うこと」が目的になっていたりする。それは必ずしも悪いことではないのですが、同じメンバーで毎月同窓会をやる必要はないかもしれません。目的が変化していることに気付いたら、集い方の文法も本来は変えるべきなんです。

ただ、毎回集う目的を確認し、文法を新たにつくり直すのは非常に面倒なことなので、古い文法でその場を「こなす」ようになっていくんですね。それが重なるとどこからともなく「あの会、最近つまらなくなったね……」という声が上がりはじめる。だから主催者はしんどくてもイベントをうまくまとめたり、そつなくこなすことに逃げてはいけないんです。

参加者はたとえつまらないと思っても、主催者に面と向かってそうは言いません。だから僕はワークショップやセミナーをやった後はエゴサーチするようにしています。参考になるのは「よかった」とか「ありがとうございます」といったポジティブなコメントよりも「思っていたのとは違った」「モヤモヤした」といった違和感についてのコメントです。

それを見ると「ああ、ここは伝わってなかったんだ」というのがわかる。大人が「モヤモヤした」というとき、それは何か納得できない部分があったということです。「伝わらない」のは誰の責任か。それは多くの場合、主催者の「伝え方」が悪いんです。

イベントのなかには、参加者に「あえてモヤモヤしてもらうこと」が目的の会もあります。最後にあえてまとめないで、持ち帰ってもらう。ただし、そのときには、イベント参加者に事前に伝えます。それがイベントのインフォームドコンセントです。

写真提供=中原研究室

モヤモヤ系のワークショップをつくるときは、最初にこんなふうに伝えます。「これはみなさんが普段悩んでいることを言語化して、他の人からフィードバックをもらって考える場なので、かんたんにすっきりしてもらっては困ります」。この場合は、最後に、イベントの満足度などをアンケートでとることすらしません。満足して、すっきりして帰ってもらっては困るのです。

「学びがありました!」は消化不良の裏返し

じつは、ワークショップの主催者にとっては、感情を浄化したり、カタルシスに持って行ったり、祝祭にしてしまうほうが、かんたんです。ただ、それが目的でない場合、そのときだけみんなで気持ちよくなっても、後には何も残りません。参加者の感想のなかに「学びがありました!」「気づきがありました!」「刺激を受けました!」「目ウロコでした!」といった言葉が並んだときは要注意です。それはつまり、その集いの中身がうまく消化できていない可能性があるからです。

どんな学びがあったのか、何に気づいたのか、どこで目ウロコだったのか、そういう具体的な対象がない場合は、学習者が、イベントの内容を消化できていない可能性があります。そういうとき、主催者としては、イベントを「こなして」しまっている可能性もありうるのではないでしょうか。

僕は、人を集めて何かをやるとき、その集まり自体を目的に合わせて変化させ続けることを自分に課しています。そして、目的が終わったと思ったときには、やめる覚悟も大事です。