香港の歴史的使命は終わった
このような習近平の思考といつまでも収束しない香港の問題を分けて考えることはできない。
19年10月1日の建国70周年記念式典の演説で習近平は「一国二制度は堅持する」と述べた。しかし、習近平の本質は強烈な一国主義者であり、ウエイトが置かれているのは「二制度」ではなく、あくまで「一国」なのだ。国の根幹を揺るがす二制度など許されない。一国二制度というのは中国が貧しく弱々しかった時代に台湾や香港、マカオなど、かつての植民地を大陸に統合していくための「方便」として考え出された統治構想であって、強大になった今の中国には関係ない。むしろ邪魔なだけ、というのが習近平の本音だろう。
一国二制度が現実の統治システムとして用いられたのは、1997年に香港の主権が英国から中国に返還されてからだ。当時、香港の生活水準は高く、中国本土からすれば仰ぎ見るくらいうらやましい存在だった。鄧小平が改革開放政策の先行モデルである特別区を香港の隣の深圳に設置したのも、香港の繁栄の「おこぼれ」が欲しかったからだ。
当時の深圳は人口30万人程度の貧しい漁村だった。しかし今や人口は1300万人にまで膨らんで、GDPも香港を凌ぐまでになっている。国内外のハイテク企業がひしめき、世界中からヒト、モノ、カネが集まってくる。深圳以外にも北京、上海、杭州、温州、成都、重慶など都市の発展も著しい。となれば、中国政府が「香港の歴史的使命は終わった」と考えても不思議ではない。
習近平の頭の中では、しゃぶり尽くした香港はすでに用済みになっていると思う。香港には多くのグローバル企業がヘッドクオーター(本部)を置いているが、中国本土の仕事となれば深圳や上海にやって来なければならない。香港は単なる中継基地、海外ビジネスパーソンの家族が生活する拠点でしかない。インターナショナルスクールやインターナショナルコミュニティもある便利な街だが、中国本土から見れば香港の存在価値は大きく低下しているのだ。
今、中国本土では香港人に対する感情が悪化して「嫌香港」が拡大しているという。
香港では「自分たちは香港人で中国人ではない」と思っている人が多い。抗議活動がエスカレートするのも、「中国は香港に高度な自治を認める『一国二制度』をねじ曲げ、さまざまなことを形骸化させて『一国一制度』に持ち込もうとしている。デモを『テロ行為』と呼んで警察力をもって鎮圧すべしと香港政府に圧力をかけている。とんでもない話だ」という主張を強めてきたからだ。