夫婦別姓が可能になっても「同姓」の権利は消えない

たとえば、選択的夫婦別姓(正式には選択的夫婦別氏)に関してさまざまな議論が行われていますが、選択的夫婦別姓が可能になったとしても「夫婦同姓」の権利が剥奪されるということはありません。かといって、夫婦同姓論者の人たちみんなが夫婦別姓の人たちを認めなくてもいいわけです。夫婦別姓を認める必要があるのは法律であって、夫婦同姓論者の人たちではないのですから。

そのように、本来は意見が相容れない人たちは、そのままで存在することが可能なはずです。社会が新しい選択肢を認めるということは、現行の選択肢が否定されたわけではありませんし、それぞれの考え方を受け入れようと、そうでなかろうと、どの選択肢も法律のうえで存在し得るのです。

だからこそ、私は無理にお互いを認め合うのではなく、あくまで並行して存在する「並存」というあり方をしていける社会がいいのではないかと考えています。

多様性があったほうが、リスクは避けられる

そもそも私が「多様性」というキーワードを意識し始めたのは、いつの間にか「同じような仕事観/人生観」の人ばかりと交流を持つようになったときです。経営という仕事をしていると、どうしても交流関係が偏っていきやすいもの。実際、「同じような仕事観/人生観」の人と話していると気が楽ですし、知りたいことを知ることができます。

ただ、私が提供するサービスを利用する人たちは、私と「同じような仕事観/人生観」とは限りません。むしろ、私と「同じような仕事観/人生観」を持つ人は、全国的に見たらごく一部のマイノリティでしょう。だからこそ「同じような仕事観/人生観」の人とばかり交流をしていると、新しい発見や「こここそがビジネスチャンス」といったものには出会いづらかったりします。それゆえに、最近では多様な価値観を持つ多様な人たちと、あえて積極的に交流を持つようにしています。

多様性は、ビジネスにおいても重要性が再確認されつつあります。

たとえば、米マッキンゼー・グローバル・インスティテュート(MGI)が2015年に発表した研究結果によると、労働の面で女性が男性と平等となり、同じ就労率で同じ時間、同じ部門で働くならば、世界のGDPは2025年までに28兆ドル(26%)増えると推定されています。

生物学的にも疫病その他で全滅するリスクが低いなど、画一的ではなく多様性があることの重要性は、自明とも言えるレベルになっています。実際、ビジネスの場であっても画一的な価値観ではなく、さまざまな価値観やものの見方があったほうが、より多面的な検討が可能で、さまざまなリスク回避が期待できるのです。