ところが、これが裏目に出て、上司筋から嫉妬を買う羽目に。再び不遇をかこつ身となってしまいます。
嫉妬をぶっちぎったかに見えたが……
そして今度はパリで反乱が勃発。たかが2万前後の反乱軍なのですが、無能な総裁政府は鎮圧できない。ところが、総司令官ポール・バラスに拝み倒されたナポレオンが指揮を執るや、たった2時間でこれを鎮圧。26歳で一躍パリ市民の人気を得ます。
ところが、自分の無能ぶりを暴露された恰好のバラスが彼に与えたのは、褒美ではなく嫌がらせでした。「こいつを何とか自分の目の届くところに囲っておこう」と考え、愛人の1人で、トウが立って処遇に困っていたジョゼフィーヌと結婚させ、しかも結婚2日目のナポレオンにイタリア行きの辞令を出し、当時イタリアを支配していたオーストリア帝国軍と戦わせます。バラスが与えたのは老兵部隊。士気が低く軍服も軍靴もボロボロ、馬も駄馬ばかり。バラスの嫌がらせです。
ところがナポレオンは、「正規軍なら勝つに決まっている。この軍隊で戦って勝つことに、俺の価値がある」と発奮し、連戦連勝。名声を不動のものとします。
ナポレオンが一代で欧州を制覇できた主因は、フランス革命の精神「自由・平等・博愛」を掲げ、行く先々で「解放軍」として振る舞ったことです。才能の誇示は嫉妬されるが、一歩引いて「皆のため」という大義名分を掲げれば、逆に協力を得られる。これを実行したことが彼の凄いところでした。当時王制に辟易していた他国の国民も拍手喝采、ナポレオン軍を迎え撃つどころか、進んで受け入れたのです。
ところが、ナポレオンは皇帝に即位しました。欧州の諸国民は「え? 俺たちのためじゃなくて、自分が偉くなるための戦いだったの?」と失望。欧州中に嫉妬を再発させたことが没落の端緒でした。楽聖ベートーベンが激怒して、自作の交響曲『ボナパルト』の楽譜のタイトルをペンでかき消し、「英雄」に変更したのは有名な話です。
ナポレオンは嫉妬をぶっちぎって頂点に立ったかに見えましたが、詰めを誤り、最後は流刑地で非業の死を遂げた。一方、賈詡は消極的ながら謙虚な振る舞いで天寿をまっとうした。同じ才能の持ち主でも、他人からの嫉妬との向き合い方次第で、これだけ運命が変わるんですね。