学生運動に対抗し、右派学生を率いて闘った

思想的に近い安倍晋三首相を支え続け、今回、初入閣となった。1973年に大分市議となり90年に衆議院で初当選。2005年の選挙では郵政関連法案に反対したため党公認を得られず無所属で落選。しかし、07年、安倍首相に復党を許され、参議院に転じた。

内閣府特命担当大臣 衛藤晟一氏(時事通信フォト=写真)

その後、たった1年で辞任した安倍首相の再登板を支援し、議員連盟「創生『日本』」で共に活動した。その議連の主な政策が憲法改正、防衛力増強、集団的自衛権容認など。これらは自ら首相補佐官に就任した第2次安倍政権によって着実に具体化されている。

HPには大学時代に「学園正常化運動に奔走」とある。60年代、左派に支配された学生運動に対抗し、右派学生を率いて闘った足跡を記したもの。歴史認識や愛国心教育などで戦前の価値観も重視する右派活動家だった。

改元も明治以来の「一世一元」にこだわり

「日本会議」など右派集団との関係も深い。首相の靖国神社参拝も求め続け、13年に安倍首相はその通り参拝に踏み切った。米国が「失望した」と批判すると、衛藤氏は「失望した米国に失望した」と反論。改元も明治以来の「一世一元」にこだわり即位前の公表に反対した。

しかし安倍首相は靖国参拝もやめ、国民生活に配慮し新元号も即位の前に公表した。衛藤氏らの主張は、米国の意向や国民世論という「ふるい」にかけられ現実政治に落とし込まれている。

ただ戦争を知る世代が押さえ込んできた右派の主張が大きな力をもつ時代となった。これは安倍政権限定か、国のかたちが変わったのか、我々も見極めが必要だ。

衛藤晟一(えとう・せいいち)
内閣府特命担当大臣
1947年生まれ。大分県出身。90年衆議院議員に初当選。2012年第2次安倍内閣の内閣総理大臣補佐官に就任。19年9月より現職。
(写真=時事通信フォト)
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