落合博満の眼力

注目したのは彼の守備だった。

「87年に落合さんがロッテから中日に来たとき、ナゴヤ球場三塁側のベンチで落合さんの(三塁)守備練習をずっと見ていたんです。三冠王だから打つだけの人かなと思っていたら、守備も一生懸命やっている。うわっ、むっちゃ体勢低いわ、グラブをきちんと下から出しているわって。あまり落合さんの守備は話題になりませんけど、(グラブ)さばきが巧い。そしてスローイングもいい」

落合は一塁手として試合出場することが多かった。川相が走者として一塁に出たとき、落合から「お前か、タカさんの後輩は」と話しかけられた。

タカさんとはイチローなどを育てた高畠導宏のことだ。

落合もオリオンズ時代に高畠の教えを受けている。高畠は岡山南出身だった。数少ないプロ野球に進んだ先輩として、高校三年生時に川相は本間と共に高畠と会ったことがあった。高畠は自分の後輩が入ってくるので宜しく頼むと落合に言っていたのだ。

それから一塁の上で二人は話をするようになった。

「お前、ちよっと反対方向狙いすぎだわ、とか。あれじゃ、全部ファールになるぞと言われたことを覚えてますね」

川相は落合の眼力に驚いた。そのとき川相は右翼方向に打球を飛ばさなくてはならないと、右足の置く位置を工夫していたのだ。

「ランナーがいたら反対(右翼)方向に打たなきゃいけないって、考えていたらファールになる。悪いバッティングになっていたんです」

落合の指摘を受け入れ、打撃コーチと相談して川相はフォームを修正した。

“待て”より“打て”という長嶋茂雄の後押し

ジャイアンツ入団からしばらく打撃練習が憂鬱ゆううつだったという川相は、93年に打率2割9分という数字を残している。これはセ・リーグで10番目、ジャイアンツの中では最上位だった。この時期、プロ野球はジャイアンツを中心に回っていた。テレビ中継があり注目の集まるジャイアンツに各チーム、主力投手を当ててくる中、この打率は数割増しで評価していいだろう。

打率が上向いたのは、このシーズンから監督が長嶋茂雄になったことも関係している。

「藤田さんと長嶋さんは野球の考え方が全く違うんです。藤田さんだと“待て”だったケースが、長嶋さんだとほとんど“打て”。相手(バッテリー)は今までの川相ならばこの場面で待つだろう、打ってこないだろうってイメージがあるわけです。そこで、打たねえぞって知らん顔して、カーンと打つ」

今までのイメージを利用したんですよ、とにこりと笑った。ただし、この93年、ジャイアンツは3位に低迷している。長嶋はチームのてこ入れのために、フリーエージェント制度で落合を獲得した。

「落合さんのバッティングって見ているだけで勉強になる。ネクストバッターズサークルでのスイング、あるいはティーバッティングのやり方」

翌94年、川相は3番の松井秀喜、そして4番の落合の前を打つことになった。そして打率3割2厘――ジャイアンツの遊撃手で3割を超えたのは広岡達朗以来だった。この年、ジャイアンツは4年ぶりにセ・リーグ、そして日本シリーズを制している。