パレード中止は「美智子上皇后の意向が強く反映されていた」
十二単姿の時は、やや緊張した面持ちの雅子さんだったが、外国の要人たちを迎える時には、にこやかな雅子スマイルで言葉をかけていた。
元外交官という経歴に加え、皇后になられた“覚悟”が、もともと持っていた彼女のいい面を引き出し、早くも『フライデー』のように、令和時代を象徴する皇后になられたという評価がメディアで定着しそうである。
順風満帆の船出をされたように見える天皇皇后だが、多くの週刊誌は、新たな問題が表面化していると報じている。
10月22日は「即位礼正殿の儀」に続いて、15時半から「祝賀御列の儀」というパレードが催されるはずだった。
だが、先の台風19号のもたらした被災者たちのことを考えれば、行うべきではないと宮内庁側が考え、政府官邸と話し合い、11月10日に延期することを決定した。
しかし、この延期は、『週刊新潮』(10/31号)によれば、「20日に85歳のお誕生日を迎えた美智子上皇后の意向が強く反映されていた」というのである。
菅義偉官房長官を含めた官邸は、「祝賀パレードは淡々と進めていきたい」と、強行する姿勢だった。
だが、15日に西村泰彦宮内庁次長が、天皇皇后両陛下が、被災されている多くの方々について心を痛めていると述べ、美智子上皇后が、ご自身の誕生日の祝賀行事をすべて中止すると発表したことで、流れが変わったという。
天皇陛下からも、「どのような形でパレードが進められるのか検討してみてください」という意向が侍従に伝えられ、宮内庁と官邸が協議した結果、中止となったそうである。
「“今でも皇室の中心は上皇上皇后陛下“という人が少なくない」
宮内庁の動きは早く、15日に美智子上皇后の“ご心痛”を発表するにあたり、警備を担う警視庁には、その日の夕刻の時点で、「パレードは11月10日に延期」と伝えられていたという。
菅官房長官は、「宮内庁と相談し、あくまで内閣として判断した」といったが、実際は宮内庁に押し切られた格好だというのである。
以前から、宮内庁と安倍官邸の間には「すきま風」が吹いていた。上皇の生前退位を巡って、脇に追いやられた官邸は、意趣返しに当時の宮内庁長官を更迭するという挙に出た。
今回も、祝賀パレードは国事行為である「即位の礼」の一部だから、憲法上は「内閣の助言と承認を必要」とするが、今回も、両陛下、ひいては美智子上皇后の強いご意見があり、「その通りに進めるほかありませんでした」(全国紙デスク)
『女性セブン』(11/7・14号)も、美智子上皇后の“ご意向”が、パレード中止につながったと見ている。
「平成の30年を通じ、国民から敬愛された上皇上皇后両陛下の存在感は、退位されたとはいえ薄れるものではない」(セブン)。両陛下にお仕えしてきた侍従職のほとんどが、そのまま上皇職に繰り上がり、今でも60人以上の体制だという。
「それだけに、“今でも皇室の中心は上皇上皇后陛下”という発想を持つ人が少なくない」(宮内庁関係者)