病院や学校の多い土地柄が喫茶店を育てた

「弘前コーヒースクール」という会社がある。喫茶店の運営会社で、現在は「北の珈琲工房」「成田専蔵珈琲店」「弘大カフェ成田専蔵珈琲店」(いずれも弘前市)、2019年4月末に開業した「白神焙煎舎」(西目屋にしめや村)という店舗ブランドを運営する。

創業者は、店名にもある成田専蔵さん(弘前コーヒースクール社長。1951年生まれ)。一般の人がイメージする寡黙な東北人タイプではなく、明るく笑顔を絶やさない。取材時も、若い店舗スタッフに気さくに話しかけていた。

「あえて『弘前コーヒースクール』の社名にしたのは、商売を前面に出すよりもコーヒーが集まる場所にしたかったから。創業は1975年で、当時の喫茶店は人気ビジネスでした。でも最初から軌道に乗ったわけではなく、コーヒーを探究しながらコーヒー豆を自家焙煎し、喫茶店運営と豆の卸販売で、徐々に支持されるようになりました」(同)

撮影=プレジデントオンライン編集部
「弘大カフェ」店内の様子

成田さんは、「弘前のコーヒー文化復活」の立役者だ。十数年前、後述する「藩士の珈琲」といった地元ゆかりの商品を開発し、地域の各店とも連携してきた。

「青森県は津軽地方を中心に、コーヒーを受け入れる土壌があります。理由のひとつが寒さ。海外でも1人当たりのコーヒー支出量が多い国は、北欧のフィンランドやノルウェーが上位にきます。そして津軽弁で『えふりこぎ』と呼ぶ、見栄っ張り気質の土地柄でもある。弘前には病院や学校も多く、昭和の喫茶店ブームの時代も、医師や教師などのホワイトカラーに支えられた。その気風が受け継がれています」(同)

豆をすり鉢でゴリゴリ粉砕して飲む新体験

「藩士の珈琲」とは、史実をもとに開発した「温故知新のコーヒー」だ。

成田専蔵珈琲店によると、1807(文化4)年、江戸幕府の命令で弘前藩の武士が北方警備のために蝦夷地(現在の北海道)に赴任した。厳寒の土地とビタミン不足による浮腫ふしゅ病(原因菌は大腸菌で、発症する皮膚の下に水が溜まる)で亡くなる藩士が多かった。その4年前には、蘭学医の著書の中で「浮腫病に珈琲が効く」と書かれてあった。

1855(安政2)年の北方警備では、予防薬に珈琲が支給されたという。そうした史実を知った成田さんが当時の仕様書(レシピ)をもとに味を再現。市内の喫茶店に広めた。

撮影=プレジデントオンライン編集部
コーヒー豆をすり潰して飲む体験ができる「藩士の珈琲」

取材陣も成田専蔵珈琲店(本店)で、「藩士の珈琲体験」をした。すり鉢でコーヒー豆を粉砕し、土瓶に入れて飲む。店のスタッフ手づくりの説明書もある。現在のコーヒーとは違うが、ネルドリップで抽出したコーヒーも出してくれて、味の違いも楽しめた。