小中高と日本とアメリカを行ったり来たりしていた国際ジャーナリストのモーリー・ロバートソンさん。日本の高校を退学させられた経験をもつが、それから一念発起。1981年に東京大学のほか、ハーバード、MIT、イェール、スタンフォードなど米国の名門6大学に合格した。なぜ、そんな離れ業ができたのか——。

※本稿は、『プレジデントFamily2019年秋号』の記事を一部再編集したものです。

高校中退「問題児」が東大やハーバード大に合格できた理由

撮影=市来 朋久

父の仕事の関係で日本とアメリカを行き来しながら育った僕は、小中高、大学と両方の国で教育を受けてきました。そんな経験を持つ僕が皆さんに人生のアドバイスをする前に、自分の育ちについて説明したいと思います。

小学校は広島のアメリカンスクールに通っていたのですが、5年生の2学期から地元の公立小学校に転入しました。当時日本のマンガやアニメにはまっていて、日本語をちゃんと身につけたい、という気持ちが強かったんです。

ところが、スクールでは英語に集中させるために、日本語禁止になってしまって。だから自分から転校したいと言いだしました。

当時は1970年代だったので、「ガイジンが来た!」と言って大騒ぎになったのを覚えています。面白がる子も差別する子もいたし、先生にも僕を煙たがる人がいたけれど、日本語をやりたかったので、子供なりに戦いました。転校から半年後ぐらいだったかな、生徒会長に立候補したら当選しちゃった。

広島では御三家と呼ばれる中高一貫校があって、転校したときには周りはもう中学受験の準備をしている時期でした。友達が塾に行っちゃうので、一緒に遊ぼうとすると自分も塾に行くしかないんですよ。それまでは勉強は楽しいものだと思ってやってきたので、苦労しました(笑)。

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