日本とアメリカの「教育」に翻弄されながら成長した

中学受験で合格したのは昭和スパルタな感じの男子進学校で、瀬戸内の炎天下で朝礼をやって、バタバタ生徒が倒れるんだけどそこを克服するのが男だ、みたいな感じ。一方で、3階から飛び降りるとか根性を見せることをやると、またそれがマッチョな先生から評価されるみたいな校風でしたね。

ところが、日本式の環境にすっかり染まった中2の途中で、父の仕事の都合でアメリカに戻ることになったんです。向こうの学校に通い始めたら、またカルチャーショックで。日本の中学では勉強も根性論で、予習復習をやれとか、英単語は短冊式の暗記カードを作れとか。で、数学と理科、それからフランス語はそれですごくうまくいったんです。でもそれ以外は、日本式がすっかり裏目に出ちゃった。

日本はすべての教科で、基本的に答えが一つの問いしかやらない。そしてその答えをなるべく要領よく覚え、テストのときにぱっと答えられることが大事。でもアメリカの学校では、議論できる能力、自分の考えを持って言葉や文章にできる能力が問われるんです。

撮影=市来 朋久
本稿の詳細記事は、『プレジデントFamily2019年秋号』にて。

ロック、ディスコ…広島の高校を結局、退学になった

たとえば社会の時間だったら、「今から大統領選です。あなたはどの党を支持するか、理由も含めて述べなさい」と尋ねられます。そして、他の生徒との議論になる。民主党は銃規制に積極的だから、とか言うと、親が全米ライフル協会(NRA)に加入しているようなクラスメイトが議論をふっかけてくるわけです。

妊娠中絶の問題とか愛国心教育の問題とか、大人の間でも賛否両論があって、一つの結論には簡単にはいきつかない問いです。

「君の意見を」と言われても、僕には意見なんかないですよ。日本では授業中に意見を言うと怒られた。でもアメリカでは、意見を言わないと「何で黙ってるんだ」と怒られる。

結局、高2の途中で、中学入試で入った広島の男子進学校に戻ってきてしまいました。ところが、ロックを聴いたりとか、ディスコに行ったりとか、女の子を誘うこととかアメリカで覚えてきたことを広めてしまい、学校から完全に不良扱いされてしまったんです。

アメリカだと高校生にもなれば男女交際は大事な社交性の練習で、週末には学校でコピーバンドのライブがあって、そこでみんなで踊ったりもする。自分としては普通のことをしたつもりなのに、不純異性交遊禁止とかディスコ禁止とかいう校則が作られ、それをわざわざ生徒手帳に1ページ足されたりして。結局、退学になってしまいました。