俺の野球人生で数少ない満足の瞬間

そこに金の魔力がくる。プロ野球選手なんて若くして尋常じゃない給料や契約金を得て、酒と女を覚える。夜なんて合宿所に誰もいやしねえ。

俺? 俺は契約金0円のテスト生で、遊びたくても金がねえ。2年間、背広をつくる金もないからずっと学生服を着ていたくらいだから「金のある奴はいいなぁ」と妬みながら、1人黙々とバットを振っていたよ。

俺なんぞは監督が褒めるところがなくて「よう頑張っとるな」くらいしかいえない。マメをつくるくらいしか努力のしようがなかったんだよ。

そんな人生に転機が訪れたのは、入団から3年目。帯同したハワイキャンプで試合に出させてもらえたこと。理由はなんてことはない、一番手が肩を壊し、二枚目の二番手がハワイで遊び惚けて、監督が激怒。

「もういい! 野村お前出ろ!」と投げやりに仰せつかったんだ。

でもそこで大活躍できて運命を変えたんだから、人生わからないもんだ。人間、努力をすれば誰かしらが見てくれているもんだとも思ったね。

俺の野球人生で数少ない満足の瞬間がある。52本のホームランで新記録をとったとき。「これで俺の地位もあと10年は安泰だ」と一安心したら、翌年に王(貞治)がその記録を抜きやがった。表向きはにこやかに接したけど、王、あいつは俺の価値を下げた男よ。あいつさえ、いなければ……。

ちなみに、オールスター戦で王と戦った数十打席、俺は1度も王にヒットを打たせなかった。「王はこう抑えるんだ」って気概でやったが誰も評価してくれない。なんでやねん。

長嶋? あぁ、あれはもう天才だ。それ以外、何もいうことはねえや。

俺は今、84歳。俺から野球をとったら何も残らない、そんな人生だった。今思うことは、なんで若い選手たちからもっと記録が出てこねえんだろうなぁということ。野球知識も増えて、才能ある選手もいて。時代的に恵まれすぎているのかな。俺がプロになろうと決意したのが、小さい頃から苦労をかけてきた母親を楽にさせてやりたかったから。ハングリー精神は必要だよ。

世のなか「努力=結果」ばかりじゃない。でも、努力しなけりゃ確実に結果は出ないんだよ。「この世界は才能。素質だよ。バット振って一軍になれるなら、みんな一軍になっているよ」って俺も散々いわれた。でも「才能がない」ってのは、甘美なる逃げの言葉だ。それくらいなら、他人を妬んでもその感情を「なにくそ!」と力に変えるほうが人を成長させるんじゃないかね。

(構成=三浦愛美 撮影=村上庄吾 写真=時事通信フォト)
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