実は俺の野球人生は中学で終わるはずだったんだよ。母親から「中学を卒業したら働いてくれなきゃ困る」っていわれて。だけど兄貴が「高校くらい出ていないと将来苦労する。俺が大学進学しないで働くから」と後押ししてくれたんだ。もう頭が上がらないよね。俺と違って頭がいいのに、その言葉どおりに高校卒業後に就職して、しかもその後、ちゃんと夜学で大学までいったんだから、俺とはまったく出来が違う。

ヤクルト監督時代の1997年。(時事通信フォト=写真)

だいぶ後になって兄貴に聞いたことがあるんだよ。「俺の野球の素質を見抜いていたのか」って。そうしたら、「いい素質しているなとは思っていたけれど、プロになれるとは夢にも思っていなかった」とさ。

野球部の顧問にもお世話になった。金がないから野球ができないというと、わざわざ自宅にまで来て母親に「野村君は野球の素質がある。私が父親代わりとして就職まで世話をします」と直談判してくれた。こう考えると、俺の野球人生はいつも首の皮一枚でつながっていたんだな。

高校には1日4本しか走らない汽車で登校していたからバイトもできない。ユニフォームや道具は先輩からの払い下げ。海水入りの酒瓶をバットにして、必死に素振りした。

高校卒業前に、南海ホークスの入団テストを受けた。部活の監督が「お前ならひょっとするとひょっとするぞ」と大阪までの汽車賃まで貸してくれて、それで見事受かったんだから、自分でもびっくりよ。

でもこれには後日談があって、実は田舎者ばかり受かっていたんだよ。キャッチャーはとにかくピッチャーの球を受け続けなきゃいけないから絶対数が必要だ。あるとき二軍のキャプテンにいつ試合に出られるのか聞いたら、「がっかりするなよ、後は自分で決めろ。テスト生から一軍に上がった奴なんて過去にひとりもいねえよ。お前らは全員ブルペンキャッチャーとして採用されたんだよ」と。

もうショックもショック。田舎者は純粋で忍耐強いだろうと採用されたんだ。でも、3年後に仲間は全員クビになったが、俺だけ残った。不思議だ。いまだに理由がわからない。

王よ、お前さえいなければ……

そんな底辺にいた俺が野球界に残り、将来を嘱望され華々しくデビューしたのにその後鳴かず飛ばずで消えていく人間がいる。その違いは何だろうと考えることがあるんだ。

きっとそれは目標と到達点を勘違いするからなんだよ。みんなプロの野球選手になりたくて必死の努力をしてくるわけだろう。そして夢が叶う。でもそれは人生の到達点じゃない。むしろ出発点だよ。なのにそこで安心して遊びまくってしまう。