林はそれまで「俺について来い!」と自信満々で叫んでいたが、社員たちを連れていった先は地獄であった。その責任を痛いほど感じていたのである。

だが、逃げるわけにはいかない。3カ月で体重を10キロも減らした病人のような姿で、朝日ソーラー本社へ林は向かった。さいわい会社は無借金経営であり、銀行に頭を下げる必要はなかった。もう一度部下たちに謝り、事業継続へ向けた計画を練り直そうと心に決めていた。

林氏の一人娘が描いた「おとうさんの絵」。どん底期の気持ちを忘れないため、大分本社の会長室に常に掲げられている。

林氏の一人娘が描いた「おとうさんの絵」。どん底期の気持ちを忘れないため、大分本社の会長室に常に掲げられている。

その夜、林の妻がこう耳打ちした。 「『お父さん、偉いね』って。あの子、そういったわよ」

林の一人娘はそのとき小学4年生だった。騒動が始まってから3カ月あまりの報道を見て、子どもなりに事態の深刻さを理解していたのだろう。同じころ彼女が描いた林の絵が会長室に掲げられている。半そでのワイシャツを着て、心持ち前かがみになった林の表情は弱々しい。

元気いっぱいだった父が、いまはなぜ庭先に立って悄然としているのか。そしてなぜ、吹っ切れたように会社へ向かうのか。その内面を推し量り、前を向いて再び歩き出した父を「偉い」と彼女は褒めたのだ。

「子どものいうことなのに、感動してしまって……。いい大人がみっともないことですが、それで『ようし、やるぞ!』と奮い立ったんです」

林は破顔し、こう続けた。

「世間からご批判を受けて、われわれのどこが悪いのかは痛いほどわかりました。私自身も、かつては一生懸命のあまり午前2時にふつうのお宅を訪問して、警察に通報されてからやっと非常識なことをやっていたと気がついたことがあります。いまは訪問するのは夜8時までと決めています。ただ、販売手法を見直すだけなら簡単ですが、それを現場に徹底するのは大変です。結局、ここまでくるのに11年かかってしまったということです」


 現在の目標は、11年前に目前で諦めざるをえなかったジャスダック市場への上場を果たすことだ。

「環境問題に関心が集まるなかで、朝日ソーラーは太陽熱や太陽電池の事業を行っています。環境の道を極めることで、『朝日ソーラーは大した会社たい!』。こういわれるようになりたいですね」

林は拳を握り締めた。いったん18に減らした店舗網は25支店に回復した。その一店一店を行脚する毎日である。 (文中敬称略)

(芥川 仁、芳地博之=撮影)