日本の“金持ち”の代表格といえばベンチャー企業の創業者。だが、会社経営にはときに逆風が吹く。地獄の底をのぞいた社長たちは、逆境にどう耐えたのか。3人の復活劇を追った。
<strong>朝日ソーラー会長 林 武志</strong><br>1950年3月、福岡市生まれ。工業高校を中退、さまざまな職業を経験したのち83年に朝日ソーラーを創業。ベンチャーの雄として華々しい脚光を浴びるが、97年に販売手法が問題とされ倒産の危機を迎える。2008年3月より現職。
朝日ソーラー会長 林 武志
1950年3月、福岡市生まれ。工業高校を中退、さまざまな職業を経験したのち83年に朝日ソーラーを創業。ベンチャーの雄として華々しい脚光を浴びるが、97年に販売手法が問題とされ倒産の危機を迎える。2008年3月より現職。

「朝日ソーラーはおしまいだ」

誰もがそう思った。創業者・林武志の強烈な指導力でぐいぐい業績を伸ばし、一時は“ベンチャーの雄”と騒がれたが、強引ともいえる訪問販売の手法が社会との軋轢を生んだ。1997年4月に公的機関の国民生活センターが苦情の多い企業として社名を公表したのを皮切りに、5月には通産省(当時)が改善命令を下して急成長にブレーキをかけた。とどめは、7月に博多支店の社員が訪問販売法違反容疑で逮捕されたことだ。

「さすがに社員が逮捕されたのはこたえました。でも『死のう』とは思わなかったし『会社がなくなる』とも思わなかった。『なんとかしてやろう!』。そんな思いだけはありましたね」

58歳になった林はこう振り返る。朝日ソーラー本社は、あのときのまま、大分市内の幹線道路沿いに立っている。2001年からは、事件以来中断していた別府大分マラソンの協賛企業にも名を連ねるようになった。

最盛時に比べれば業容はひとケタ縮小したが、批判にさらされた販売手法を見直すことで、徐々に信頼を回復しつつある。今年3月には生え抜きの安井茂人に社長を譲り、林自身は会長職に退いた。林はなぜ倒れなかったのだろう。

福岡市生まれの林が、大分で朝日ソーラーを創業したのは、いまから25年前の83年のことだ。歴戦の訪問販売部隊が民家の屋根の上に温水パネルを載せる方式の太陽熱温水器を売りまくり、わずか14年で従業員2700人の大企業に成長した。