「人の心の舵取り」が好調持続のカギ

私の危惧は、こうしたある意味ではかなりきつい経験が、働く人の経営に対する信頼や我慢をすり減らすことになっていないかという点である。なぜならば、こうした変化はある意味では、働く人と企業との心理的契約の違背であるからである。

したがって、過去15年の変化が、納得のいく説明のないままに導入されたと認識された場合、心理的契約の違背を生み、会社への満足度や経営者の信頼を下げるのかもしれない。実際、これまで用いてきた労働政策研究・研修機構のデータによると、経営者に対する信頼はある程度低下していることが窺える。例えば、「今の会社での経営者は信頼されている」という文章の「当てはまり」の変化を聞いたところ、「当てはまる度合いが高まった」と答えた割合が、16.1%に対して、「当てはまる度合いが低くなった」と答えた割合が25.2%だった。

そして、この傾向は、過去3年間賃金が上がっていない、自分の会社では社員教育に全く関心がないと答えた回答者で強く見られるのである。信頼が低下した割合は、それぞれ29.8%と47.5%であった。

先にも述べたように、経営への信頼や我慢は、経営の視点から見た場合、貴重な資源として位置づけられる。事業構造を変革するとき、新しい戦略に移っていくときなど、企業の変革にあたっては、働く人が経営者にどれだけ信頼をおいているか、その結果としてどれだけ我慢する気があるかが、重要な経営資源なのである。

わが国の経営は、こうした働く人の我慢や信頼を長い間かけて蓄積してきた。そして、それがバブル経済崩壊からの復興過程で活用されたことはいうまでもない。だが、企業業績回復のために導入された人事改革には、新たな心理的契約が再構築されているかもしれないのである。そこでは経営者への信頼も限定的なものになっているかもしれない。

だからこそ、経営者は、今回の人事改革が、働く人の信頼という貴重な経営資源をどう変容させたかに関心を持つべきだし、業績が戻ってきたからといって、元と同じような心理的契約や信頼が再生されていると考えることはできない。将来、信頼を経営資源として使いたいのであれば、もう1回時間をかけてつくり直さざるをえないだろう。今、ここで人の心の舵取りを間違えると、働く人は、会社や経営者に対して信頼を失ったまま、全く新しい心理的契約を構築してしまうかもしれないのである。