上がらない給料、減少した人材育成の機会……。いざなぎ景気を超え、企業が最高益を更新しても、従業員の不安感は消えない。バブル崩壊以降に蓄積した従業員の我慢が限界に達し、経営者への信頼をすり減らすことにつながるのではないか、と筆者は危惧する。
バブル経済崩壊からの復活過程でもっとも効果的だった経営要素は何なのだろうか。
情報技術(IT)?
株主重視のガバナンス構造?
財務的なリストラ?
もちろん、こうした要因も重要なのだろうが、経営者があまり気づいていない要素として、「従業員の我慢」があるように思う。従業員は数多くの厳しい施策を我慢して受け入れ、そのなかで会社の建て直しをしっかりと行ってきたのである。何年たっても上がりそうにない賃金を受け入れる、ひとりふたりと正社員が減り、派遣社員に置き換わっていく職場を見つめる。そして、多くは、自らが“リストラ”されることを受け入れ、新しい職場に希望をつないだ。
こうした我慢の結果もあり、わが国経済はようやく復活の兆しが見えている。企業業績は上昇傾向にあり、株価も持ち直し始めている。なんといっても、多くの企業で利益が出てきた。その意味で、「従業員の我慢」は、再生のための重要な経営資源だったのである。
では、こうした「従業員の我慢」はいったいどういう形で企業のなかに蓄積されるのだろうか。ひとつには、我慢とは、働く人の変革推進者への信頼によっていることが多い。変革に必要なこれまでとは違った行動をとるためには、変革推進者が裏切らないという信頼が必要なのである。
社会心理学者の山岸俊男氏によれば、相手を信頼して行動するということは、そうでない場合よりも、自分の身を危険にさらす程度が高まるという。つまり、信頼とは、相手が利己的な行動をとらない可能性に関しての信念や期待であり、信頼の程度によって自分をどこまで危険にさらすかが決まり、それにより改革がちゃんと進むか大きく左右されるのである。いうなれば、変革や環境変化への対応には、経営者への信頼が必要なのである。
そして、こうした信頼は、通常の状況(つまり変革以前)の、働く人と企業(または経営者)の心理的契約が維持されることに依存する。心理的契約とは、「組織との互酬的な関係に関して従業員が抱く主観的な信念」のことであり、一般的に雇用契約とは、将来にわたって、労働条件などを、変化や状況に対応する形で明示的に書き出すことができないので、信頼に基づく心理的契約である側面が強い。
そして、その形成・強化・破壊に影響を与えるのが人事管理システムなのである。別の言い方をすれば、従業員は、人事管理のシステムや運用のありようから、経営者や会社の意図を読み取ることが多い。人事システムのなかで、心理的契約の違背がなければ、信頼が形成されるのである。
つまり、日常の雇用のあり方によって信頼がどこまで形成され、我慢がどれだけ蓄積されるかが決まるのだが、思い返せば、過去15年間は、日本の雇用のあり方が変化し、心理的契約が働く人にとって、裏切られることの多かった時期でもあった。