一方通行のミーティングでは意味がない

「私がホワイトボードに書くので、皆は頭だけを使ってほしい」と伝えることで、個々人の自由な発想、気づき、そして忖度や誰のためにといった組織の理屈から解放された、インディペンデント・シンキングを期待した。

誰の話であれ一方的に聞くことに集中してメモをとっていれば、必然的に思考は止まる。メモをとって「いい話を聞いた」と感じたところで、たいていそれで終わる。

その場で得たものを吸収しながらどんどん血肉にしていくためには、メモなど脇に置いて、自分の頭をフル回転させて思考、咀嚼そしゃくする必要がある。その場でアウトプットできるかどうかの思考力が必要だ。

話す側としても、どれだけたくさんの人が自分の話を聞いてくれたところで、せっせとメモをとってなんの意見も出ないようなら話す甲斐かいがないというものだ。話すと同時に相手が反応し、随時様々な意見が出てくる場ほどエキサイティングなものはない。「ミーティングはイーブンで終われ」と拙著『インディペンデント・シンキング』の中で述べたが、一方的に話して終わり、聞いて終わりのミーティングには両者得がない。

硬直した縦割りサイロはメモ魔だらけ

その後、日本郵政の民営化、あるいは電力会社の改革に臨んだ際に感じたのは、ひたすら人の言うことをメモに取る「メモ取り文化」だ。これはローエンド・組織エリート(組織で上に行くすべには長じているが、外に出ると何もできない可能性の高い人たち)に特に強く見られる現象だということもわかった。

誰が偉いかで善悪が決まる組織の場合には、偉い人の言ったことを一字一句逃さないというのが、組織エリートの条件となる。また会議自体も「問題解決」ではなく、「上意下達のため」である場合が多く、その場合は「偉い人のコメント」こそが記録すべきものとなるわけだ。

また、出席者あるいは陪席者が異常に多くなるのも、ローエンド・組織エリートたちの特徴だ。一心不乱にPCに向かってベタ打ちしている参加者を見ると、この人は自分を記録係として考えていて、問題解決への貢献にはまったく興味がないのだと推測してしまう。そしてそれが習性と化している場合、ちょっとやそっとでは治らない。

しかし不確実な問題、答えの見えない問題の解決のためには、「おっしゃることはもっともです」などというコメントは不要であり、こちらの言うことにうなずきながらメモをとってもらいたくもない。そういう忖度そんたく系の態度に価値はない。