死んでからも他人の時間とお金を奪いたくない

葬式で思い出しましたが、10年くらい前に妻と自分の葬式について話をしたことがありました。そのとき妻と決めたのは、自分の葬式は大々的にしたくないということ。

この考え自体はむかしから持っていたのですが、このとき「葬式は身内だけでする」とはっきりと決めてしまいました。身内といっても、どこまでを身内とするかで際限なく広がりそうですが、とりあえず親戚も呼ばずに本当の身内だけでやるつもりでいるのです。

そして、よく葬式とは別に行われる「お別れ会」みたいなものもしない考えです。

まあ、知り合いの漫画家さんたちが「どうしてもやりたい」というのなら、それは単なる飲み会だから勝手にやっていただくのは構いません。でも、僕はこの世にいないし、すでにもう死んでいるので、死体から飲み代は出てこないと思ってほしい。

なぜ、こんなことを前もって宣言するのかというと、僕はむかしから「他人から時間もお金も奪いたくないし、自分自身も奪われたくない」という考えを強く持っていたからです。人生も終わりが見えてきたから決めたのではなく、単純にむかしから持っていた考えに従っているだけなのです。

自分の葬式には誰も来なくてもいい

もっと言えば、そうした考えは僕の振る舞いともう一体化していると言えるのかもしれない。たとえば、いまの妻と付き合いはじめたころ、僕はデートしていても食事はワンコインかワンプレートで食べられるものにして、終わったらさっさと解散して、すぐにひとりでギャンブル場へ行くようなことをしていました。

蛭子能収『死にたくない 一億総終活時代の人生観』(角川新書)

「自分が時間とお金を奪われたくないから、他人の時間とお金も奪いたくない」

これはもう僕の本質的な部分から出てきたことで、それゆえ「葬式は身内だけ」「お別れ会はしない」という考えにも自然につながったのでしょう。

繰り返しますが、僕は儀式のようなものが苦手だし、そんな場所にもかかわらず笑うクセがあるので、葬式に行くとまわりに迷惑をかけてしまいます。最後にお別れをしたいという気持ちもなくはないのですが、その思いがあきらかにほかの人よりも足りないのでしょう。

そんな気持ちがあれば、笑わないはずですからね。

であるのならば、「自分は自分」と考えるほかありません。僕が死んだときには誰も来なくていいと思うし、生きている人はもっと自分の時間を大切にしてほしい。僕が死んだ日も、生きている人はそんなことを知ることもなく、自分の好きなようにわいわい楽しく過ごしてほしい。

死んだ人のためにわざわざ時間を割いて線香をあげに来るなんて、「少なくとも僕にはしなくていいですよ」と言いたいですね。

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