葬式に行くと笑って逝きそうになる

でも、僕が葬式に行かないのにはもっと大きな理由があって、これこそ不謹慎極まりないのですけど……僕は葬式に行くと、葬儀の最中に必ず笑ってしまうのです。

これはもうなぜなのか自分でもよくわかりません。子どものころからの悪いクセで、笑いだしたらもうどうしても止まらなくなるのです。とにかくその場がおかしくておかしくて、以前も友だちとふたりで知人の葬儀に行ったときに笑いが止まらなくなったことがありました。友だちには横から真顔で怒られるし、でもおかしいしで本当に苦しかった。

そんな振る舞いは、世間的に見たらかなり洒落にならないでしょう。

だから、僕のような葬式で笑い転げる人間は、そもそもその場に行かないほうがいい。

まだ若いときは葬式といってもどこか他人事でしたけど、71歳になったいまなら、もしかしたら、僕も本当に悲しい人たちの心境がわかるようになっているかもしれません。それでも、「行ってもし失敗したら……」と思うと怖くて行けなくなるのです。一般の人ならまだカメラがないからいいけれど、芸能人の葬式に行って、僕の満面の笑みが全国に中継されると思うと、さすがに二の足を踏んでしまいます。

葬式全体が“喜劇”のように見えてくる

でも、その一般の人の葬式であっても、以前は「蛭子さん今日は絶対笑わないでよ!」と言われて「なに言ってるの。笑うわけないでしょう」などと返して行っていたのですが、結局は笑ってしまうのです。

隣席で「蛭子さんダメだよ、ダメだよ!」と、力の限り腕をつねられているのに、それでも笑いを止めることができず、やがて呼吸もどんどん苦しくなって、自分のほうがこの葬式で逝ってしまうのではないかということもあったほどです。

自分でもこの抑えられない衝動がなんなのか考えてみたこともあります。たぶん、僕は建前で悲しいふりをするのが苦手で、なのにそこにいる全員が揃いも揃って見事に神妙な顔をしているのを目にすると、もう葬式全体が“喜劇”のように見えてくるんです。そして、いちどその「魔のループ」に入ってしまったら、完全に終了です。がまんすればするほど、笑いが僕を攻め立ててくるのです。

また、そんな儀式に参加して一生懸命まわりと同じように振舞おうとしている自分のことも、ひたすらおかしくなってしまう。言ってみれば、僕は他人の死にあまり興味がないのかもしれません。いつも「死にたくない」と思って生きているせいか、いったん死んでしまった人間には、ほとんど興味が持てないようなのです。

誤解してほしくないのは、葬式で悲しんでいる人たちが滑稽に見えるとか、おかしいというわけじゃありません。

ただ、みんな揃って同じ行動をしているその場が、なんだか奇妙で不思議な空間に見えてくる。僕だって、ある尊敬していた漫画家さんが死んだときはちょっと寂しかったし、さすがに線香をあげに行ったのですが、それでもやっぱり途中からどうにもおかしくなって、笑いが止まらなくなってしまいました。

そんなこともあって、僕はなるべく葬式には近づかないようにしています。誰かが気分を害することは、とにかくできる限りしたくないですから。