ダブリンの投票会場では、IRB会長のシド・ミラーが登壇し、「ネクスト・ワールドカップ……」と語り始めた。つづいて発せられた言葉に、座は一変した。
「ニュージーランド」
東京では、シャンパンの相伴に与ることなく、記者たちが引き上げていった。
当時29歳だった宮崎春奈はラグビー好きだった父の影響で、姉や友人たちと中学生のころから球場に足を運んでいた。学習院大学3年の冬から押しかけ同然に日本ラグビー協会でアルバイトを始め、卒業後はそのまま職員として就職していた。アイルランドへの留学を経て、現在は企業スポーツにかかわる民間企業に籍を置きながら、W杯2019組織委員会のメディアオペレーション部長として、取材陣のサポートやバックアップの指揮をとる。
11年招致失敗で芽生えた新たな感情
森は、徳増に、IRB会長のシド・ミラーになんとしても面会の時間をとりつけられるように交渉しろと指示していた。
ハードな交渉の末、徳増は、森とシド・ミラーの会談のスケジュールをとりつけた。日本の招致団の事実上のトップである以上に、元プライム・ミニスター・オブ・ジャパンという森の国際社会における来歴は、圧倒的な存在感となって鳴り響いていた。
日本の招致団と相対したシド・ミラーは、元アイルランド代表であり、世界を代表する存在である。
「次はがんばってくれ――」
にこにこと笑みを浮かべつつ、また開催国の招致活動に挑んでくれと励ましたこの大立者に対して、森は少しも遠慮しなかった。森は、挨拶もそこそこに、決めていた覚悟を覆すことなく主張した。
「いわば旧大英帝国が結託すれば、簡単に過半数がとれてしまうではないですか。いまの時代に、こんなおかしな話がありますか」
国会議員として、日本の首相として、数多くの国際会議や国際交渉の場で一筋縄ではいかぬ相手と渡り合ってきた。その経験から、正論で語りかけた。シド・ミラーの顔が見る見るうちに激して紅潮していた。やきもきする日本代表団幹部をよそに、森はつづけた。
「国連では、経済大国である米国、中国も、小さな新興国も、すべての国が平等に1票ずつ持っています。なぜ、ラグビーの世界では、伝統国といわれる力のある国だけが2票を持って、それ以外の国は1票しかないんですか。これが民主主義の先導国であるイギリスのやることなんでしょうか。こんなことをしていたら、ラグビー界は必ず衰退しますよ」