日本の招致団は、南アフリカが優勢で、NZがやや劣勢であり、第1次投票で、南アフリカと日本に絞られることに希望をつないでいた。ロビー活動に勤しんでいるとき、「日本に投票する」と明言する理事国の代表もいた。しかし、実際にどれだけの票を得られるかは、各理事が投じ終えるまではわからない。仮に、南アフリカとの決選投票に持ち込めたとしても、開催国に勝ち上がることは容易ではないと日本側の誰もが見立てていた。

いきなりの番狂わせが第1次投票で起きる。最優勢と衆目の一致していた南アフリカが落選したのである。NZが同情票を集めたという実情も少なからず働いたと分析された。

ラグビーW杯は、そう長い歴史ではないとはいえ、一握りのラグビー伝統国に牛耳られてきた。87年の第1回大会以降、4年に1度、イングランド、南アフリカ、ウェールズ、オーストラリアと5大会がすべて、北半球と南半球で交互に譲り合うように開催されてきた。アジアはもちろん、北米でも南米でも開催されたことがなかった。限られた国々の間で、予定調和と大差のない“パス回し”が繰り返されていたのである。

日本は、ラグビーW杯、第1回大会が開かれて以来、欠かさず参加してきたが戦績は振るわなかった。前回の15年イングランド大会で強豪の南アフリカを破るというあの劇的な勝利をあげるまで、91年にジンバブエ戦で白星をあげているだけであった。

日本では1899(明治32)年に慶應義塾大学でラグビーが始まっており、日本ラグビー協会も1926(大正15)年に創立されている(2013年に公益財団法人化)。30(昭和5)年には日本代表が結成され、カナダに遠征してテストマッチにも参加している。

歓喜と落胆のあいだで

時差についていうなら、ダブリンよりも日本のほうが時計の進みが8時間早い。したがって、現地の午後に投票結果が発表されるころ、日本は真夜中である。

宮崎春奈●ラグビーW杯2019組織委員会会場運営局メディアオペレーション部長。W杯を取材する国内外のメディアの取材環境を整える業務にあたる。

この当時は、まだ開催国発表の模様がオンタイムでインターネット中継されるようなことはなかった。そのため、現地の投票会場にいる徳増らが電話で、東京・北青山の秩父宮ラグビー場内にある協会の一室で待機する幹部や職員に逐一、経過を知らせた。メディアの記者たちが50人以上集まっていた。最有力候補と見られる南アフリカが第1次投票で落選したと知らされると、職員、記者たちからどよめくように歓声が上がった。

これは日本に決定しそうだと、にわかに熱を帯びていた。日本ラグビー協会の広報担当である宮崎春奈は、もしやの瞬間のためにと、シャンパンを買い込んできていた。紙コップでの乾杯でいいかと思ったが、それではせっかくの祝いのひとときに高揚感も味わえない。そう考え、協会スタッフとともに、レンタルのシャンパングラスを手配していた。