無事アパートも決まり、順風満帆のはずが……

結局、その日からの宿泊場所をG区は用意してくれた。3日後には脱会の確認も取れ、生活保護の受給も決定した。クロダさんの当面の宿泊先に関しては、背中の彫り物が立派すぎるために共同浴場などの設備しかない施設は受け入れ拒否が続き、なかなか確保が難しかった。

しかし、それが逆に幸いしたのか、施設にとどめられることなく早い段階でのアパート入居が決まった。契約の際、僕が緊急連絡先を引き受けると言った時も彼は涙ぐんでいた。

その後、クロダさんの紹介で元暴力団員の人の相談にのったり、生活保護の申請同行に行ったりすることも増えた。クロダさんは医療機関につながり、依存症の自助グループなどにも通うようになった。何もかもが順風満帆のように思われた。

そんな矢先に、クロダさんからまた手紙が届いたのだった。

開くとただ一言、「大西さん、ごめんなさい」と書かれていた。差出人の住所は「R警察署」だった。僕は急いでR警察署に向かった。

初詣でお賽銭を奮発した帰り道、運命が変わる

接見室に入って5分。警察官にうながされ、クロダさんは面をあげた。涙と鼻水が混ざってぐちゃぐちゃになっている。

「わざわざ来てもらってすいません。いろいろお世話になったのに……本当にごめんなさい……」

「クロダさん、いいんですよ。本当に。ただ、何があったのかなって。それにもし差しさわりがなかったらなんですが……。やっぱり、今回も同じ罪状だったりしますか?」

「……はい、すみません」

アパートに移ってからのクロダさんの生活は何もかもが順調だった。本人いわく、「順調すぎた」。アパートに入居してからは、以前のような生活に戻らないように毎週必ず依存症の自助グループに通ったし、医療機関にも定期的に通院した。服薬も守り、自炊もし、お酒の誘惑も断って慎ましく生活していた。クリスマスには駅前の製菓店で小さなケーキを買い、大晦日みそかには年越しそばを食べた。徐々にではあるが、念願の普通の生活を手に入れつつあった。

2012年の正月。クロダさんは久々にG区を離れ、都心の大きな神社に初詣に出かけた。一張羅のジャケットに革靴を履き、今年はいい年になるようにとお賽銭さいせんも奮発した。

でもその帰り道、彼の運命はまた大きく変わってしまった。